ほんとうの救世主
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 殺せ。殺せ。殺せ。
 史上最凶の大罪人を処せよ。
 皇城の広場に集まった民衆は拳を突き上げ声を大にして、同じ呪詛を繰り返す。
 茨の積まれた十字架にかけられた少女は、碧の瞳に絶望を宿して、居合わせる連中を見渡した。
 彼らはほんの数日前まで、少女を讃えていたのだ。
 勇者。救世主。奇跡の乙女。
 と。
 善意が悪意に変わるのは簡単で、彼らは掌を返したように、少女を誉めそやした口からその言葉を吐くのだ。
 燃やせ。燃やせ。燃やせ。
 世界を危機に陥れた極悪人を燃やし尽くせ。
 と。

「偉大なる勇者アルベインの血を引きし聖女イリアナ・レイテル。あなた様のご成長をお待ちしておりました」
 小王国の片隅にある辺境村で暮らしていたイリアナの元に、大陸一の帝国の遣いを名乗る一団がやって来たのは、彼女が十六の歳を迎えたばかりの春だった。
 イリアナに係累は居ない。父はイリアナが生まれる前に遠い異国で命を落とし、女手ひとつで育ててくれた母も、五年前に病でこの世を去った。兄弟姉妹も頼れる親戚も居ないイリアナではあったが、幸い村人達は優しく、糸紡ぎ車を回す跡継ぎを求めていた老婆が、食うに困らないだけの技術を与えてくれた。
 イリアナの紡ぐ糸は出来が良く、光にさらすと黄金のように輝く。特に赤く染めた糸は極上だ。火が燃えるかのごとき揺らめきを帯びた糸は、村の商売人が王都へ持って行けば、即座に売り切れた程である。
 火糸の乙女イリアナの噂は国境を越えて帝都まで届き、帝国の神官の耳にも入ったのだろう。大陸を脅かす魔族と戦い果てた勇者の娘という、本人さえ知らなかった出自を彼らは見出し、父の跡継ぎとしての役割を、只の糸紡ぎ娘に求めたのだ。
「頑張れよ、イリアナ」
「私達はずっとお前を応援しているからね」
「いつか胸を張って帰っておいで」
 村人達の激励の言葉を浴びて故郷を後にし、馬車に乗って訪れた帝都で、イリアナは勇者として魔族と戦う訓練を積んだ。剣の振り方、体術の基礎から応用、敵の使う魔法に対抗する知識。ありとあらゆる戦いを短期間で叩き込まれた。
 そして、屈強な騎士、城付きの神官、熟練した宮廷魔術師を供に、東の果てに城を構えて幾度も人間世界に攻め込む魔族の王を征伐する為、旅立ったのである。

 魔族は古くから人類を脅かす敵。栄えた都市を狙っては侵攻を繰り返し、あるいは炎の海に包み、あるいは瓦礫の下に押し潰し、あるいは洪水で押し流して、多くの都を死都に変えた。
 残虐非道の魔王征伐を目指して、山を越え河を渡り幾千里を征く。野宿の夜には焚火を囲み、それぞれの思い出話を夕餉の副菜として語らい合う。
 その中で、騎士は、自分の父親がイリアナの父の供として果敢に魔族に立ち向かい、勇者を守って命を散らしたと語った。
 神官は、将来を誓い合った娘がいたが、彼女が魔族の引き起こした土砂崩れによって生き埋めになり息絶えた為、世を儚んで神の道へ入ったと語った。
 宮廷魔術師は、魔術の研究に没頭するあまり婚期を逃し焦りを覚えた頃、優しく近づいて来た男性が居たが、彼女の研究成果を狙う魔族だったと判り、騙された事に深く傷ついて、必ず魔族を絶滅させる事を決めたと語った。
 仲間達それぞれが、魔族に対する憎しみの炎を胸に抱いている。イリアナも父を魔族に殺されてはいるが、生まれる前に死んだ人間の事は実感が湧かず、彼ら程魔族への執着がある訳ではない。
(わたしが、勇者で良いのだろうか)
 仲間達の復讐にぎらつく瞳を見つめながら、戸惑いの熾火が、彼女の碧い瞳の中で揺蕩うように踊った。

 長い旅路の末、イリアナ達は魔王の支配する暗黒の城へ辿り着いた。待ち受ける魔族を斬り倒し、魔法で退けて、奥の間へと雪崩れ込む。
「ここまで来たか」
 魔王は年老いた男だった。後ろに撫でつけた髪から、顎にたくわえる長い髭まで、全てが真っ白。皺くちゃの顔の中で、碧い瞳だけが凛とした光を湛えて、油断無くイリアナ達を見据えている。歴戦を潜り抜けて来た人間の老人、と言えば納得してしまいそうな程、果てし無く人に近い姿をした男であった。
「民に真実を隠し、何も知らぬ若者を次々と送り込む」
 憎々しげに、独り言のように呟きながら、魔王は鷹揚とした所作で玉座から腰を浮かせた。
「帝国のやり方は、儂が戦った頃と何一つ変わっておらぬか」
 心底失望した、と云う溜息をつく魔王の反応は意味が解らない。しかし、彼が人々を脅かして来た悪の化身である事には違い無い。イリアナが油断無く剣を構えると、魔王は初めて真正面からイリアナを見つめ、「お前は、まさか」と驚愕の色をその顔に満たした。
 魔王が怯んだ機会を逃す手は無い。魔術師が呪文を唱えて炎の魔法を放ち、立ち直った魔王がマントを翻して炎を防ぐ隙に乗じて、イリアナと騎士が剣を振りかざして敵に肉薄する。魔王は手を振りかざし、氷の矢を幾つも生み出して反撃して来たが、神官の祈りに応えて、加護の光がイリアナと騎士を包み、敵の攻撃を一切届かせなかった。
 魔王は腰の剣を抜き放って騎士の一撃を受け流すと、続くイリアナの攻撃を受け止める。
「これも、運命の悪戯か」
 魔王が皮肉げに唇を歪めた。しかしイリアナを格下に見て侮っているようではない。己を嘲っている風にさえ見えた。
 そして、不意に。
 彼は一切の表情を消して、いきなり手の力を抜いた。鍔迫り合っていた剣が滑った勢いで、イリアナの剣は魔王の肩から腹までを一気に斬り裂き、鮮血を噴き出させた。
「どうして」
 イリアナが呆然と洩らす前で、魔王は一瞬、慈愛に満ちた笑みをこちらに向ける。そのまま崩れ落ちてうつ伏せに倒れ、人々を恐怖に陥れた魔王は、いとも呆気無く事切れた。
 仲間達が歓声をあげて駆け寄って来る。返り血に塗れたイリアナはもう動かない魔王を見下ろし、そしてその手に視線を吸い寄せられた。
 左薬指にはまった指輪。職人の手作りで丹念に施されたその装飾には、酷く見覚えがある。亡くなった母が同じ意匠の物を左手にはめていたのだ。それは今、母の形見としてイリアナの首から提げられたペンダントとなっている。
 指輪と指輪。点と点が線で結びつく。
 どうして、何故、の考えがただひたすらにイリアナの脳裏を駆け巡る。だが、玉座の後ろから聞こえて来た小さな物音によって、思考は中断を余儀無くされた。
 イリアナより少し年下くらいだろう、少女とも見紛う顔の作りをした少年だった。瞳の碧に恐れの色を混じらせて、震えながらこちらを見つめている。その面影に、今自分の前で倒れ伏す老人との共通点を見出して、イリアナは彼が魔王の息子であろう事を悟った。
「魔族の生き残りか」
 騎士が憎々しげに吐き捨てながら、切っ先を少年に向ける。神官と魔術師も油断無く身構えながら、少年との距離を測る。しかし、両者の間に腕を広げ割って入ったのは、他でもない、イリアナだった。
「どういうおつもりですか」
 騎士が切れ長の目を鋭く細めてイリアナを見下ろして来る。気圧されまいと必死に睨み返しながら、イリアナは凛と声を張った。
「彼に敵意は有りません。魔王は倒しました。これ以上の流血は必要無いでしょう」
「禍根は断たねばなりません。今、この少年を殺さねば、後々きっと我々の脅威となるはず」
 騎士の理屈は解る。復讐を避ける為には、今ここで魔族の全てを断つのが最善策なのだ。しかしイリアナはこれ以上の流血を望みたくないと思った。それにもし、自分の考えが合っているならば、この少年は。
「責任ならわたしが取ります」
 碧の瞳で真正面から騎士を見据えながら、イリアナは毅然と言い切った。
「無益な殺戮をしない事も、勇者の条件ではありませんか」
 小娘に過ぎなかったイリアナが堂々と意見した事に意表を衝かれたのだろう。騎士はしばし言葉を失って立ち尽くしていたのだが、深々とした息をつくと、徐に剣を鞘へ収めた。
 それを見届けたイリアナは。
「もう大丈夫です」
 一歩一歩を踏み締めるように少年の元へ歩み寄り、恐怖で小刻みに震えるその肩に手を置いて、それから柔らかく頭を撫でた。
「あなたを死なせはしません。あなたの父親を殺した罪もわたしが負います。その代わり、もう二度と人間世界を攻めないと誓ってください」
 触れた頬は温かい。人間と何ら変わりは無いのだ。何故なら、元をただせば彼らも人間なのだから。しかし。
「君は勘違いをしているよ」
 少年が初めて口を開いた。顔立ち通り、少女のような高い声だった。
「魔族が人間を滅ぼすんじゃない。魔族は人間を守ってきたんだ。空の上の」
 何かを言いかけた少年の話は中途に止まった。その胸に、再び抜き放たれた騎士の剣が突き立てられ、赤い花を咲かせている。
 口から血を吐きながら少年はくずおれ、動かなくなった。
「敵の言う事に耳を傾ける必要などありませぬ」
 言葉を紡げなくなって呆然と立ち尽くすイリアナの隣で、騎士が再び納刀し、冷たい声色で言った。
「魔族の戯言などお忘れください。あなたは英雄となったのです、勇者イリアナ」

 帝都に帰還したイリアナ一行は、魔族を滅ぼした英雄として大歓声に迎えられた。
 救世主を讃える宴は幾日にも渡って繰り広げられ、イリアナは帝国皇太子の求婚を受けた。糸紡ぎ娘から勇者となり、皇太子妃までのぼりつめたイリアナは、女性達の夢や羨望の的となり、吟遊詩人が高らかに物語を謳い上げた。
 しかし、質の悪い素材を使うと糸車が引っかかって動きを止めるように、密かに狂っていた歯車は噛み合わなくなっていった。
 魔族を滅したのに、滅びる都市が出たのである。
 勇者が魔王を倒したはずなのに、何故だ。不安は疑念となって人々の間に波のように広がって行く。
 そこに、イリアナの仲間であった騎士達が口を揃えて皇帝に進言した。イリアナは、魔王の息子を救おうとした。魔族に通じていたに違い無い、と。
 聖女が罪人に堕ちるのは、あっという間だった。裁判も、皇帝への釈明の場すら設けられる事無く、イリアナは咎人として捕らえられ、魔族と通じて人心を乱した魔女として、火刑に処される事となった。

 茨に松明の火が移る。たっぷりと油を染み込ませた茨は勢い良く燃え上がり、棘で傷ついた素足へとにじり寄るように熱が迫ってくる。本能的な恐怖に、助けを求めて周囲を見渡す。
 視界に皇太子の姿が入った。少し前までイリアナの耳元で愛を囁いていた彼はしかし、その隣に知らない貴族の娘を侍らせ、酒すら楽しみつつ笑いながらこちらを指差し、娘に何事かを耳打ちしているではないか。
 裏切られた。
 その絶望感がイリアナの胸を襲う。
 実の父親をその手にかけたのに、仲間にも皇太子にも、誰も彼にも裏切られた。
 愕然と目を見開くイリアナの足に遂に炎が触れる。熱い、ではない。痛い、だ。引き裂かれるような激痛があっという間に身体を這い登ってくる。
 悲しい。悔しい。世界の為に戦ったのに、その世界から見捨てられ、誰にも惜しまれぬままこうして火に焼かれて死するだけなのか。
 煙が目を突いて涙がとめどなく零れる。痛みが麻痺して何も感じられなくなる。もうこのまま、全ての感覚を手放して闇に落ちてしまえば良いのだろうか。諦めに目を閉じた時。
 観衆のざわめく声が聞こえた。イリアナの名前を呼びながら駆け寄って来る足音がある。その高い声に聞き覚えがあって、再度目を見開くと、抱き締める腕の感覚が訪れ、碧い瞳が至近距離で自分を見つめていた。
 生きていたのか。だのに何故、共に焼かれて拾った命を捨てるような運命を選ぶのか。混乱するイリアナに、少年は優しく笑みかけて、火のついた腕により一層の力を込めた。
「僕を生かそうとしてくれた君一人を、犠牲にはしない」
 皇太子の浮かれた言葉より優しい声が鼓膜を叩く。
「君を陥れる事で嘘を隠そうとするこんな世界、滅びてしまえば良いんだ。だから」

 一緒に逝こう。

 その囁きと共に、少年と少女の身体は完全に炎に包まれる。
 直後。巨大な火柱が迸り、飛び散るように無数の火の玉を噴いたかと思うと、唖然とする観衆目がけて、神の怒りとばかりに降りかかった。
 燃える。炎は燃やす。
 至近距離に居た処刑人も。逃げ惑う人々も。特等席で笑いながら酒を飲んでいた所へ火球に襲われて、恐慌に硬直し目を見開く皇太子も。
 裁きの火はどんな人間にも等しく天罰のごとく降り注いで、なめるように帝都中に燃え広がり、七日七晩、天空までをも赤く染めた。
 イリアナの紡ぐ糸よりも赤い、紅蓮の炎で。

「ふーん、それでそれで?」
 金色の肌をした幼子が、猫のように細い瞳孔を持つ銀色の目を興味津々に輝かせながら、母親の御伽話の続きを待つ。
「後は知っての通りよ」
 子供の銀髪を手で優しく梳きながら、やはり金色の肌を持つ母親は朗らかに笑った。
「魔族の守りを得られなくなった事で、ニンゲン達の都市は私達の『天の雷火』で次々と滅び、遂にニンゲンは絶滅したの」
 魔族は人間を根絶やしにしようと都市を破壊していた訳ではない。人が多く集まる場所を狙って天空から降り注ぐ、侵略者の雷火を降らせない為に、人口の増え過ぎた都市を優先的に滅ぼす事で、残った人間を守っていたのだ。帝国はその事実を隠して若者を魔族征伐に赴かせる事で威光に縋りついて、結果全ての人間を滅ぼしてしまった。
 人間の全く住まなくなった広い大地に宇宙から降臨した彼らは、人間ほどの繁殖力ではないが着実に数を増やし、百年をかけて、この星の新たな支配者として生存権を獲得したのである。
「じゃあさ!」
 子供がはしゃいだ声をあげ手を打ち合わせた。
「イリアナはニンゲン達じゃなくて僕らの救世主だね! だって、僕らが安全に住める世界を作ってくれたんだもの!」
「そうね」
 唇を綺麗な三日月形に描いて、母親も笑み返す。
「さあ、お話はもうお仕舞い。お休みなさい、坊や」
 金色の手が毛布を子供の胸にまでかけてやる。幼子の銀色の瞳がまぶたの下に隠れる。
 イリアナの名はこうして未来永劫語り継がれて行くのだ。金色の肌をした彼らの、ほんとうの救世主として。