1:勇者2078番(前)
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「お前、勇者になる気はねえか?」
 顔が腫れ上がるまで殴られ、口の端に血の泡を浮かせて痣だらけの身体をごみ捨て場に埋もれさせた少年は、そう声をかけられ、緩慢な動きで顔を持ち上げる。
 痙攣する目蓋を開けば、少年と同じ目線に屈み込んでこちらをのぞき込む、四十路とおぼしき男が、焦茶色の瞳を愉快そうに細めて、もう一度言った。
「力が欲しいなら、勇者にしてやるぞ」

 車輪の音を大きく響かせ、二頭立ての幌馬車が、白い石を積み上げた壁に囲まれた帝都の入口に辿り着く。
「顔見せろ」
 御者台に座る男に促され、燃えるような赤毛に碧の瞳をした少年は、馬車の後ろから顔を出し、街門の見張り小屋から出て来る帝国兵を待ち受けた。
 黒を基調に銀糸で飾りを施された帝国の騎士服は、どこか暗く沈み込んだ印象を与え、平時なのにまるで葬式に紛れ込んでしまったかのような錯覚を覚える。少年が胸に抱いたそんな感想も知らずに、兵は手にした帳面をめくって、とある頁で手を止めた。そして無遠慮に少年をねめつける。
「ハカラのアル。間違い無いようだな」
 彼は至って事務的に少年の名を告げ、それから、使い込まれた翡翠の腕輪をつっけんどんに差し出した。
 手を伸ばし、腕輪を受け取る。天然翡翠は見た目の華奢さに反して、のしかかるような重みを帯びていた。
「それを常に身に着けておけ。これを失くす事は、帝都の民である資格を失う事を意味する」
 兵の話を半分に聞きながら、腕輪を手の中で回転させる。あたかも彫刻刀で傷つけたかのように、『2078』の文字が克明に刻まれていた。
「それが、帝都でのお前の番号だ」
 御者台の男が唇をつり上げ、自分の左手を左右に振る。同じような翡翠の腕輪が、陽光を受けてまぶしく反射する。幾つの番号が刻まれているかまでは、この距離では見届けられなかったが。
「この番号はきっかり4000番までしか無い。選ばれし民の証だ。光栄に思えよ」
 帝国兵が、まるで自分自身がそれを与えたかのように居丈高に言い張る。その腕にはやはり、翡翠の腕輪が光っている。今度は至近距離だったので、『1729』が刻まれているのを確認する事が出来た。
「これで良い。通れ」
 やはり素っ気無く言われて、少年は馬車の中に顔を引っ込めようとする。その時、街門を通る影が視界に入って、思わず惹かれるようにそちらを向いていた。
 一人の年老いた男だった。小柄な体躯に似合わぬ大荷物を、丸まった背に負って、悄然とした様子で帝都を出て行こうとしている。その手首に、帝都の民の証である翡翠腕輪は無い。
 老人が、少年に気づいて顔を上げる。途端、責めるような、憎悪を込めた視線がこちらを射抜いた。気がした。気がした、なのは、ほんの一瞬の事で、老人は諦めたように少年から視線を逸らして再び前を向くと、荷物の重みでよろけつつも街門を出て行ったのだった。
 少年が幌馬車の中に顔を引っ込めると、車輪が再び回り出す。間断無い揺れの中、御者台の男が、独り言のように言った。
「さっきのじいさん、ありゃ、番号を失った人間だ」
 意味がわからず首を傾げると、気配で悟ったらしい。男は背を向けたまま言を継いだ。
「門番が言っただろ。この帝都にはきっかり4000人までしか入れない」
 皇帝を筆頭に皇家の人間を0001番から0100番までに割り振って、貴族は800人、その他の住民で2500人。帝都御用達の出入り商人300人が資格を保有し、残りの300は皇帝に謁見を願う者などを受け入れる場合の予備だという。
「まあ、予備つっても、実際には50人くらいしか使わないで、あとは皇城の倉庫の肥やしになってるがな」
 男はそう言って何がおかしいのか喉の奥で笑い、天気の話でもするように呑気に付け足した。
「だから、新しい住民が入る時は、誰かが追ん出される。お前の身代わりになったのが、2078番を持ってた、あのじいさんだよ」
 沈黙が落ちて、道に轍を刻む音ばかりがやけに耳に響く。やがて馬車はそびえ立つ皇城の前で停止すると、男が振り返り、唇を三日月型に象り、歯を見せて笑った。
「ようこそ、未来の勇者。腐れた世界の中枢へ」

 アルには両親が居ない。兄弟姉妹も、頼りに出来る親戚も居なかった。
 強烈に覚えているのは、薄暗い部屋の中、首を斬られて血の海に沈む男女と、鉈を手に立つ大男。
 大男がこちらを振り向き鉈を振り上げるのを見て、少年は悲鳴じみた叫びを迸らせ、血溜まりから鈍色の刃を拾い上げて、迫り来る脅威に向けて突っ込んだ。
 無我夢中で体当たりした子供の背丈で突き出した刃は、偶然にも大男の急所を刺し、呻き声、鉈が床に落ちる音、大男が崩れ落ちて頭をぶつける重みが、順序良く耳にやって来た。
 返り血に塗れた少年は、刃を握ったまま強張った手から順々に指を引き剥がし、輝きが床に刺さって震えるように揺れるのを見届けると、一歩、二歩、後退り、家の扉を開けて逃げ出した。
 闇の中を、駆けて、駆けて、駆けて。
 息が続かなくなり足がもつれて倒れ込み、鋭利な草で頬を切り、泥水がもろに口の中に入り込んで噎せ込む。今更ながら手に重く伝わった肉の感触を思い出し、腹の底から嘔吐感が込み上げて、胃の中の物を全て地面にぶちまけた。
 やがてふらつきながら立ち上がった少年の耳に、せせらぎの音が聞こえて来た。よろめきつつも音に惹かれて歩みを進めれば、清流が視界に飛び込んで来た。
 駆け足で近寄って身を屈め、両手で水をすくい上げ、大きく喉を鳴らしながら何度も何度も水を飲み、口をゆすいで粘着いた口内を湿すと、次は血に汚れた上衣を脱いで清流に浸し、少年の力に出来得る限りの強さで、何度も血の跡をこすった。
 消えろと。
 記憶も、恐怖も、全部洗い流して消えろとばかりに。
 清らかな流れに血と泥が混じり込み、水が赤黒く濁っても、少年は執拗く服を洗い続けた。

 服が乾き、人の中に紛れても不自然ではない状態になると、少年は近くにある集落に足を踏み入れた。それが帝都近くの街ハカラだったが、少年が街の名前を知る由は無かった。
 通りを歩けば店が立ち並び、様々な食べ物や装飾品、日用雑貨を売っている。たれに浸けた鶏の肉を串に刺して軒先で焼いている店があり、香ばしい匂いに少年の足はそこで止まり、火に滴り落ちる脂を、物欲しげな碧の瞳で見つめた。
 すると、鶏肉を焼いていた禿頭の主人と目が合う。主人は、そちらだけは豊かな髭の口元を笑いの形につり上げると、
「食うか、坊主?」
 と、良く焼けた一串を少年の眼前に差し出した。焦げ目のついた焼き立ての鶏肉はとてつもなく美味そうで、中の物を全部吐き出して空っぽになった胃を刺激する。取りすがるように串を受け取り、夢中になって貪った。
 だが、最後の一片を食べ尽くし、串に染み着いたたれの味まで舐めて味わっていると、唐突に眼前に武骨な手が差し出された。
「三ヤシュクだ」
 少年は主人の髭面を見上げて、訳が判らないとばかりに目をしばたたく。芳しい反応をしない少年に、笑顔を張り付けていた主人の顔に胡乱げな色が宿り、それからあからさまに不審へと変貌していった。
「お前、まさか金持ってねえのか?」
 人里離れた場所に両親と三人暮らしで、買物は父が馬車を牽いて街に降りてゆき、食材や日用品を載せて帰って来るのしか見ていなかった少年にとって、物を金で買うと云う段階は、常識として存在しなかったのだ。
「てめえ」
 主人の顔がより一層険しくなった。まるで悪魔が突然彼に取り付いたかのようだった。
「只食いとは良い度胸だな!」
 突然主人が肉切り包丁を振り上げた。その光景に、鉈を叩き下ろし父母を惨殺した大男の姿が重なる。
 少年は言葉にならぬ喚き声をあげながら、手にしていた串を突き出す。恐慌状態で突き出した串は、主人の目玉を突き、彼は耳をつんざくような悲鳴をあげると、肉切り包丁を放り出して両手で顔を覆う。突然の出来事に道行く誰もが何事かと振り返る中、少年は踵を返して走り出していた。
 初めての街の上に、頭の中は混乱状態だったので、どこをどう走ったかわからないまま、裏通りに入り込んでいた。激しく息を切らせながら壁にもたれかかり、周囲を見渡して、追って来る者が居ない事を確信すると、ずるずるとその場にへたり込む。
 呼吸が整って来ると、気持ちも落ち着いてゆく。手に残っていた鶏肉のたれを名残惜しそうに舐めていると、複数の靴音が近付いて来るのが耳に届いた。先程の店の主人の仲間が、意趣返しに来たのだろうか。自然と身体は硬くなり、小さく縮み上がる。
 やがて目の前に、少年より三から六歳は年上だろう少年達がやって来た。誰もが解れのあるぼろい服を着て、手の入っていないざんばら髪をしている。そして誰も彼もがにやついた笑みを顔に浮かべて、少年を見下ろしている。
「見てたぜ。お前、なかなかやるじゃねえか」
 先頭に立つ年嵩の少年が進み出て来て、こちらに顔を近づけると、まるで女を口説くかのように囁きかける。
「俺らと一緒に来いよ。もう、食う物に困らねえ。金も手に入る」
 金という物が何なのかわからない。それを渡せない事が肉屋の主人を激昂させる程には意味がある物体なのだという事だけは先刻理解した。
 だが、そんな事はどうでも良かった。
『食う物に困らねえ』
 その一言は、抗い難い誘惑となって少年を首肯させるには充分だった。