2:勇者2078番(後)
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 少年達は親を亡くし、あるいは親に棄てられ、あるいはその親の酷い虐待から逃げ出して、裏通りにたむろする孤児達の集まりだった。
 まともに仕事をする事もせず、表通りの店から食品を奪い、緩慢な動きの老人や、往来のど真ん中で噂話に夢中な主婦から、財布を失敬する。それらが得られない日には、店裏の塵箱を漁って残飯を口にする。もし腐った物にあたっても医者に診てもらう事は出来ない。そんな金は無いし、第一、犯罪を行う子供達がまっとうな医師にかかる事は、そのまま憲兵に突き出されて酷い折檻に遭う道を辿る事と同義だった。
 その中で、アル少年は最新参ながら目を瞠る活躍を見せた。小柄な体躯を活かした身軽さで縦横無尽に立ち回り、誰よりも素速く店先の果物を奪い、誰よりも多くの財布を摺った。
「お前、本当にやるじゃねえか」
 リーダー格の少年が、裏通りの空き地に積まれた箱のてっぺんに、猿山で最強の猿がそこを陣取るのと同じように座り、奪った財布から札束と硬貨を取り出して、財布は地面に放り、指を舐めて湿らせ、枚数を数える。
「これからも上手くやれよ」
 金は奪った本人には全く入って来ない。物盗りの実行をしない年上連中の懐に滑り込むだけだ。それでも、食べ物は何とか日に二回、腹に収まって来る。そして夜は朽ちかけた空き家に入り込んで、穴の開いた毛布を頭から被って眠りにつく。
 ある風の強い晩、我が家では温かい布団に包まって、両脇に両親が居て、川の字になって眠っていた事を思い出した。じんわりと目の奥が熱くなって洟をすすり上げると、
「うるせえよ馬鹿」
 隣の少年から拳を顔面に叩き落とされた。それ以降、親の事、実家の事を思い出すのを、やめた。

 道を外れた日々の終わりは、残暑厳しいある夕方、突然だった。
『これ以上の人間に手を出してはいけない』
 暗黙の了解だった決まり事を、少年は知らされていなかった。子供達が狙うのは一般家庭の人間だったのに、帝都に住めず程近いハカラに腰を据える下級貴族の男から、少年は財布を摺った。
 本革で造られた見栄えの良い財布を差し出した時、リーダー格の少年は瞬く間に顔色を失くして唇を震わせた。そして拳を固く握り締めたかと思うと、少年の頭蓋を割らんばかりの勢いで殴りつけたのである。
「何て事しやがった、この馬鹿が!」
 割れるように痛む頭に、怒声が突き刺さって更に鈍痛を帯びる。
「おしまいだ」誰かが狼狽えながら細い声をあげた。「俺達皆、憲兵に殺されちまう。おしまいだ!」
 恐怖はあっという間に少年達の間に伝播し、頭を抱えて蹲る者、落ち着き無くうろうろし始める者、意味不明の奇声をあげる者も居た。
「お前のせいだ」
 リーダーの少年が、アルの胸倉を勢い良く掴み、呼吸が苦しくなる程に締め上げる。
「ちょっと褒めてやったら調子に乗りやがって。お前なんざ仲間にするんじゃなかった!」
 次の瞬間、衝撃と共に視界に星が散った。また強い力で殴られたのだと自覚する間も無く、今度は腹に膝が叩き込まれる。殴られ、蹴られ、朝に食べた揚げパンが逆流して相手の服に吐きかけると、頭を掴まれ、顔面を地に叩きつけられた。
「おい、こいつにかかずらってる場合じゃねえぞ」
 顔面蒼白で別の少年がリーダーを諭す。
「俺等も逃げなきゃ、皆殺しだ」
 言われて、誰もが身に迫る危機を思い出したようだ。
「そのまま野垂れ死ね、この疫病神が!」
 近くの塵捨て場にアルを放り投げると、少年達は蜘蛛の子を散らすようにその場から逃げ出す。
 その後すぐに、嵐はやって来た。裏通りに鎧を纏った憲兵達が、抜き身の剣を手に大勢乗り込んで来たのだ。憲兵達はあちこちに散り、助けを求める声、断末魔の悲鳴がそこかしこから聞こえて来る。その声の全てが、聞き覚えの有るものだった。
 少年は塵捨て場に蹲ったまま、動かなかった。全身の痛みが酷くて動けなかったと言うのが正しいか。いずれにせよ、それが不幸中の幸いになった。憲兵は少年を見つけても、微動だにしないその姿に、既に死んでいるものと見なして素通りして行ったのだ。その時、刃の輝きが視界に映り込み、いつかの鈍色の鉈を思い出してひきつれた悲鳴をあげそうになったが、それは本当に死を招くと本能的に察知して、きつく唇を噛んで、洩れ出そうになる声を押し殺した。
 阿鼻叫喚と粘着くような血の臭いが去った後には、静寂が残る。どれだけ逃げられただろうか。それとも、全員殺されてしまっただろうか。その思考はすぐに押し流され、もう、どうでもいい、という考えが脳を支配する。
 このまま塵捨て場に埋もれていれば、傷口から雑菌が入って膿を持ち、身体が腐れて死んでゆく事はわかっている。だが、それでも構わないと思っていた。もうこの街では生きられない。かと言って、頼る伝も無い。このまま消えてしまえば良いと思い、目を閉じた時。
 不意に、人が目の前に立った気配がした。やはり憲兵が戻って来たのだろうか。相手が手にした剣で斬られれば、ようやく両親の元に行ける。否、罪を重ねて来たのだ、両親には会えないかも知れない。
 覚悟すら決めて深々と息をついた時。
「何だ。やっぱり生きてるじゃねえかい」
 揶揄うような失笑が降って来た。だが、相手が剣を降り下ろして来る気配は無い。訝しんで、目蓋を叱咤し薄く目を開けると、焦茶色の視線が愉快そうにこちらを睥睨し、思いもよらぬ言葉を投げかけたのだった。

「お前、勇者になる気はねえか?」

 そして少年は、差し伸べられた手を、すがるように掴み取った。

 アルは男――『オズィンと呼べ』と名乗った相手の誘いを、一も二も無く受け入れた。泥水すすり残飯をかじって、継ぎ接ぎも出来ない生活から抜け出せるなら、理由は何でも良かった。
 オズィンは表通りでアルの小柄な体格に合わせた新品の服を買い、真っ当な湯屋に連れて行くと、裏通りの孤児を見てあからさまに嫌悪の表情を浮かべる番頭の前に何枚もの金貨を積んで、二、三、何事かを告げた。途端、鬼のように険しかった番頭の表情が甘く人懐っこいそれに代わり、満面の笑みでオズィンと少年を中に通した。
 裸にひんむかれて、桶に汲んだ熱い湯を頭からかぶせられる。傷口に沁みて痛みに顔を顰めたが、お構い無く石鹸のついた布でごしごしと身体を洗われる。長い間風呂になど入っていなかった身からは次から次へと垢が剥がれ、あっと言う間に周囲が真っ黒になった。
 身体が綺麗になると湯船へ入る。湯は熱かったが、生家で父と風呂に入って以来の湯船は懐かしくて、自然と涙が湯面に零れ落ちた。
 すっかり温まった身に新しい服を纏って、伸び放題だった赤毛を白い髪紐で一つに括って、姿見の前に立つと、もうみなしごのアルはそこにはいなかった。ただ人並みの少年が、少し居心地悪そうに、照れ臭そうに、自分を見つめていた。
 戸惑い気味のアルを、オズィンは面白がるように見ていたが、やがて少年を連れて一つの大きな建物へと連れて行った。その時のアルには知る由も無かったが、それがハカラでの帝国兵の宿舎だった。
 その中でも、広く、豪奢な調度品の設えられた一室に通されると、オズィンと少年二人分の夕食が用意される。山羊の乳から作ったチーズに豚の生ハムを巻いた前菜を皮切りに、南瓜の形が無くなるまで煮込んでから冷やした冷製スープ。牛の霜降り部分を惜しみ無く使って焼き上げ、ソースにはハーブを利かせたオリーブオイルを。白いパンはほかほかで、デザートには、作ってからあっと云う間に溶けてしまうので保存が難しい、ミルクのアイスと葡萄のソルベが出された。
 それらの全てを、「きちんとフォークとナイフを使って食ってみろ」とオズィンに言われて、もう一年近く触ってなどいなかった食器を手に取る。食べ物は鷲掴みでむしゃぶりつく生活に慣れてしまっていた手は、前菜をフォークで突つくのさえもたついたが、身に染み着いた記憶と云うのは恐ろしいもので、肉が出て来る頃には、きちんと切り分ける事が出来た。
 適応の速い少年がソルベを食べ終わるのを、オズィンは満足気に眺めて、
「まあ後足りねえのは喋りと礼儀だろうが、これは戦いと一緒に叩き込めば、何とかなるだろ」
 自分も蓮っ葉な喋り方のくせに、まるで他人事のように呟くのだった。

 高い尖塔が天空へ手を伸ばす皇城へ入り、オズィンの後に付いて、長い廊下を歩く。白い壁には、アルには価値の判らない人物画や風景画、静物画、あるいは何なのかさえ判別がつかない絵が飾られ、すり硝子の窓からは適度に光が差し込んでそれらを眩しく照らしている。
 やがて、精巧な彫刻の施された大きな扉が見えて来た。両脇に立つ二人の騎士はやはり黒地に銀糸の制服を纏っていて、無表情で立ち、これから少年を葬式にでも連れて行くかのようだ。
「0999番、オズィン・クルーガー。陛下への謁見を乞い願う」
 男が翡翠腕輪をはめた左手を胸にかざして頭を垂れると、やはり無感情のまま、騎士達が鷹揚に頷き、両側へと扉を開いた。堂々と踏み込む男に続いて、少年も足を踏み入れる。
 まず目に入ったのは緋色の絨毯。その続く先には紗がかかり、その前には、後ろに手を組んで堂々と屹立する壮年の騎士が右に。ふくよかな初老の、騎士には見えない男が左に。彼らの前に進んで男が跪き頭を下げたので、世間知らずの少年でもここは倣うべきだと感じ、見よう見まねで男の傍らに膝をついた。
「気に入った子供を見つけたか、オズィン」
 左側の男が、手にした扇子を広げて女のようにしなやかな動きで口元に当てると、「は」とオズィンが短く返す。
「次代の勇者、期待しておるぞ。名は」
 問われて、自分に声をかけられているのだと少年は気づいたが、上手く言葉が出て来ない。まごついていると、見かねたのか、隣の男が助け舟を出してくれた。
「申し訳ございません、ハーヴェルク神官長。彼はハカラのアルと申しますが、いと気高き陛下を前に、恐縮の至りで些かあがっているようです。また、この通り姓がありません」
 しばし、沈黙が落ちる。右側の騎士が切れ長の目を細めて「孤児か」と吐き捨てるように顔をしかめるのが判った。が。
「ならば、我がそなたに名を与えよう」
 酷くしわがれた老人の声が紗の向こうから聞こえて、騎士も、神官長も、オズィンさえも、驚きを顔に満たして、紗の向こう側にいるだろう人物に視線を送る。
「陛下」
 ハーヴェルク神官長が呆然と呟く間にも、陛下と呼ばれた老人は、区切るように、淡々と言葉を紡いだ。
「アルベイン。アルベイン・レイテルと、名乗れ」
 それは、新たな勇者が生まれた宣告であった。