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 暖かく包み込む、光。
 いつの間にか失っていた意識を取り戻した時、未来の視界に最初に映りこんだのは、それだった。
 それが、ステンドグラスの窓から差し込む、陽の光だと理解するには、何拍かを要した。
 身を起こして辺りを見渡せば、そこはいつもの通学路ではない。横たわっていたのは、ひんやりとした大理石の床で、まるで何処か外国の、神殿のようだ。
 ここは何処なのか。先程、自分達姉弟を呑み込んだ光の奔流は何だったのか。利久は何処に居るのだろう。様々な不安が、未来の胸に翳りを落とす。
「戦巫女!」
 そんな未来の考えを中断させたのは、昂揚に息を弾ませた、少年の声だった。
 先程光の中で聞いた声に似ている、と思いながら振り向き、未来は息を呑んだ。
 声に違わぬ、少年だった。背丈は、未来より少しばかり高いだろう、決して大きくはない。どこか幼さを残す顔立ちは、もしかしたら、未来より年下なのではないかと云う印象すら与える。
 だが、何より未来を驚かせたのは、その容姿。
 外国の王族が、正装としてまとうだろう黒服―そう、まるで中世の騎士のような―に身を包んでいる。
 そして、髪と瞳の色。
 少年は、未来が小さい頃よく見ていたテレビアニメの中くらいでしか、目にした事が無い、燃えるような赤い髪に、紫の瞳をしていた。
「さあ、行こう。まずは陛下に、戦巫女降臨を、報告しなければな」
 少年は、興奮冷めやらぬ様子で、未来に手を差し伸べる。だが、未来はその手を取るどころか、後退りして、震える声を、絞り出した。
「陛下? 戦巫女? 何言ってるんですか。ここは何処? 利久は……弟は?」
 未来の怯えきった様子に、少年は眉をひそめ、身を乗り出してくる。
「戦巫女は戦巫女だ。ここはフォルティア。お前は、フォルティアの危機を救う戦巫女に選ばれ、別の世界から俺が呼んだ」
「危機を救う? ……別の世界?」
 未来の頭はいよいよ混乱していた。何の冗談だろう。誘拐されて、悪意のゲームに無理矢理参加させられる話は、小説では読んだ事があるが、現実にそんな事が、起こり得るのだろうか。
「とにかく、いつまでもここでぼうっとしている訳にも、いかないだろう。行くぞ」
 少年が、多少の苛立ちを含めた声色を放って、未来の腕をつかもうとする。
「嫌!」
 思わず未来は叫んで、伸ばされた手を振り払っていた。少年は、しばし驚きに目を見開いた後、明らかに不機嫌さをたたえた視線で、未来を見下ろす。
「ファル、そんな態度では、戦巫女が怯えて当然ですよ」
 気まずい空気の流れる二人の間に、新たに、落ち着いた大人の男性の、やや低い声が投げかけられた。
 ファルと呼ばれた少年が、憮然とした表情で振り返る先を見ると、神殿の入口から、背の高い、やはり騎士然とした服装に身を包んだ、焦茶の髪に深い緑の瞳を持った青年が、長靴の音を響かせて、入ってくる所であった。
「我々は戦巫女の伝承を知っていても、召喚されたばかりの戦巫女は、何もご存じ無いのですから」
 青年は、未来の前にやって来ると、それが至極自然な動作であるとばかりに優雅に膝をつき、未来に向けて頭を垂れた。
「ご無礼をお許しください、戦巫女様。彼は、フォルティア王国第一王位継承者、ファルスディーン・フォン・フォルティア。私は、その護衛騎士筆頭、スティーヴ・マクソン」
 流水のように流暢に、青年は名乗り、まだ不愉快そうにそっぽを向いている少年の紹介までする。
「王子様……と騎士?」
「王子じゃない、王位継承者だ」
 未来が目を見開くと、少年―ファルスディーンが、そっけなく訂正する。それを、少し困ったような表情で見やって、スティーヴが問うた。
「戦巫女様、貴女のお名前も、お聞かせ願えますか?」
「未来……です、矢田未来」
 未来はつい応えてしまったが、すぐに湧いて出た疑問を、口にする。
「あの、戦巫女って何なんですか。それに、ここは何処ですか」
 不安に駆られる未来を、出来るだけ安心させるように笑んで、スティーヴが答えた。
「このフォルティアは、貴女の住む世界とは異なる地。そしてこの地には、古より、世界が危機に陥った時、女神アリスタリアに選ばれた三人の戦巫女が、フォルティア、ネーデブルグ、ステアの三国に降臨すると云う、伝説が有るのです」
「その、フォルティアの戦巫女が、私だと言うんですか」
「そうです」
 信じられないとばかりに呟く未来の問いに、スティーヴは、さらりと笑顔で即答した。日常で、こんな男性の爽やかな笑みを前にしていたら、気恥ずかしさに心臓が高鳴っていただろうが、今の未来は、全く別の要因で、激しい動悸に襲われていた。
「人違いじゃ、ないですか」
 未来は青年から視線を逸らし、笑おうとした。しかし口元の笑みはひきつり、声もひきつれたものになる。
「私にそんな力はありません。ただの女子高生です。世界の危機を救うなんて、そんな大それた事、出来ません」
「人違いなんかじゃない」
 ファルスディーンが、唐突に声を荒げ、スティーヴを押し退けるように未来の前に立った。
「戦巫女は本来、各国の女王か王女が召喚する。だが、フォルティアには現在、女子の王族が居ない。だから俺が呼ぶしか無かった。それでもお前は、俺の呼びかけに答えた。お前が戦巫女だ。女神アリスタリアの選定に、間違いは無い」
「現在、この大陸は、戦乱の渦中にあります。ステアのセルマリア女王が、フォルティアとネーデブルグに対して、宣戦布告をしたのです」
 笑みを消し、深刻な表情で、スティーヴが告げる。
「ステアは、いかなる手段を用いてか、世界にまとまり無く住んでいた魔物達を操り、侵攻を続けています。ネーデブルグには既に戦巫女が降臨し、対抗を始めました。ステアにも、セルマリア女王に協力する戦巫女が現れたと云う噂もあります。我々フォルティアも、早急に、ステアに立ち向かい、平穏を取り戻さねばならないのです」
「そんな、そんな事言われても、私は」
 出来ない。そう言おうとした時だった。
 がしゃあああん!と、ステンドグラスの窓があっけなく砕け散る、高い音。三人は、同時に音の方を振り向き、ファルスディーンとスティーヴは、腰に帯びていた剣―真剣だ―を抜き放ち、未来は二人の背後で、ひっと小さな悲鳴をあげた。
 硝子の破片を振り落として、ゆっくりと身をもたげるのは、硬質そうな皮膚と、背に一対の翼を持つ、人よりふたまわりほど大きい、鳥人間のような、怪物。
 利久がよくそういうゲームをするのを見ていたので、何と形容すれば良いのか、わかる。
 魔物、だ。
「フォルティアの戦巫女様が現れたと知って、早速抹殺に来たんですかね」
「戦え、戦巫女!」
 スティーヴが呑気に、しかし瞳は油断無く魔物を見据えて言い、ファルスディーンが、剣先を敵に向けたまま、叱咤してきた。
「……無理」
 膝に力が入らず、へたりこんだまま、未来は後退る。
「無理な訳があるか、お前は戦巫女だ、その力を見せてみろ!」
「無茶な事言わないで! 無理なものは無理なの!」
 二人が問答している間に、魔物は、黒板を引っかくような心地悪い奇声をあげて、飛びかかってきた。
 ファルスディーンとスティーヴが斬りかかる。魔物はそれをさらりとかわし、宙へ飛び上がると、真っすぐに、未来目がけて急降下してきた。
「きゃああああっ!!」
 未来は悲鳴をあげ目を瞑る。しかし、その両手が有する鋭い爪に、未来が切り裂かれる事は無かった。
 恐る恐る目を開けると、黒服の背中が、視界に入った。
「痛……っ!」
 ファルスディーンだった。うずくまって、おさえた右腕は、未来の代わりに魔物の攻撃を食らい、血が流れ出し、ぽたぽたと床を赤く染めていく。昔、日曜大工をしていた父が脚立から落ちて、思い切り腕と膝をすりむいた事はあるが、こんな流血を見るのは、未来にとって初めてだった。完全に固まってしまう。
 魔物は再度宙に浮き、呆然とする未来に襲いかかる。しかし、一人と一匹の間に割り込んだスティーヴが、剣をひらめかせると、刃は吸い込まれるように、魔物の脇腹に食い込む。スティーヴが気合を吐き、一気に振りぬくと、魔物は、腹の底に響くような声と黒い粒子を立ちのぼらせて、消滅した。
 剣を鞘に収めて、ふうと息をついたスティーヴは、ファルスディーンの傍らに膝をつき、負傷した彼の右腕を取る。
「戦巫女様、治療を」
 スティーヴは、さも当たり前のように未来に声をかけた。
「歴代の戦巫女には、戦闘能力が無くとも、回復能力に長けた方もおりました。貴女は、そういう能力者なのかもしれません。いかがですか」
 そう言われても、未来の中には、何の力もわいてこない。ただ恐怖ばかりが心を支配し、どうすれば良いかも、全くわからない。
「……そうですか」
 スティーヴが残念そうに目を伏せ、
「何の力も持たない戦巫女かよ」
 明らかに失望を含んだ声で、ファルスディーンが吐き捨てた。
「あてが外れたな」
 その言葉は、魔物の爪よりも鋭く、未来の胸に突き刺さった。
「ファル。戦巫女が皆、召喚されてすぐに能力に目覚めた訳ではありません。その言い方は失礼です」
 スティーヴがかばう発言をしてくれたが、未来の耳にはその言葉も遠かった。
 ―あてが外れた―
 自分はここでも、邪魔なだけの人間なのだ。
 金色の瞳が潤んだが、流すまでの涙は無かった。泣くと云う感情は、これまでの人生で、とうに麻痺していた。
「戦巫女様?」
 怪訝そうに振り向くスティーヴの、つられるファルスディーンの顔が、視界全体がぐにゃりと歪む。
「おいっ!?」
 ファルスディーンが、咄嗟に傷を負っていない左腕を伸ばして抱きとめた時には、未来の意識は既に、黒の世界へと落ちていた。

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