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 己の背丈より、遙かに高い本棚に囲まれた未来は、ぎっしりと並ぶ本の背表紙で、その題名を確認しては、違う、と次々視線を移す。
 このフェーブル城内に、歴史記念図書館が在ると聞いて、未来の足は自然とそこへ向かった。
 訪れる者も滅多に無いらしく、図書館だと云うのに煙管をふかして退屈を紛らわしていた司書に声をかけると、初老の彼は、戦巫女の訪問に、仰天しつつも喜んで、未来の質問に答えるよりも先に、いつの物かわからないお茶菓子を持ち出して、話相手に引きずり込もうとした。
 母方の祖父母と仲が良く、年上の者との会話にも慣れている未来だが、流石に今は、彼の暇つぶしに付き合うよりも優先して、目的の物を見つけたい。丁重にお茶の誘いを断ると、司書は非常に残念そうに菓子を仕舞いながらも、未来の探し物がある位置を教えてくれた。
 幾度か視線を上下左右させ、未来はようやく、目的の本を見つけた。古びた革の表紙の、分厚い一冊を取り出す。歴代の戦巫女について編纂されたと云うその本は、二千年近く続いている戦巫女の歴史を示すがごとく、ずっしりと重い。表紙の角がはげ、あちこちのページに、少し折り曲がった痕があるのは、かつてこれを手にした誰かが、床に落としでもしたのだろう。
 初代から記された、フォルティア、ネーデブルグ、ステアの三国の戦巫女の歴史は、ヴィルム語で書かれていたが、難無く読めた。ざっと眺め、かなり後ろの方の1ページで、手が止まる。
 とても馴染みのある、良く知っている名前を、目にして。
『フォルティアを棄てた、いつぞやの王族のようにはなりません』
 先程の、ファルスディーンの言葉が、脳裏に蘇る。
 そういえば、父は遠い遠い国から来たのだと、両親が、昔からよく言っていた。あれは、まだ外国の概念を認識できない幼い自分達姉弟に、噛み砕いて説明したのだろうと思っていた。しかし、もしかしたら。
 そうすると、未来の世界では20年だった出来事が、こちらの世界では、400年も前の事象になる。
 唖然とする未来の耳に、
「目的の本は、見つかったようですね」
 落ち着いた深い声が届く。顔を上げると、スティーヴの優しい笑みが、そこにあった。
「読めましたか?」
「あ、はい、おかげさまで」
 未来が応えると、騎士はその表情をますますやわらげる。素なのか、意識してそうしているのか定かではないが、照れくさくて、視線を逸らすと、彼は不思議そうに首を傾げる。
 このままだと、沈黙に陥ってしまいそうだったので、
「あの」
 未来は再びスティーヴに向き直った。
「何でしょう、戦巫女様?」
「それ、それです」
 未来は眉根を寄せて言葉を継ぐ。
「『戦巫女様』なんて、大層な呼ばれ方、私には似合いません。それに、スティーヴさんは、私より年上でしょう。普通に話しかけて下さい」
 スティーヴは、未来の言う事が余程意外だったのか、目を丸くした。
「しかし、戦巫女様は、フォルティアにとって尊きお方。我々騎士が敬意を払うのは、当然の事です」
「私にとっては、年上の人が年下に敬語を使わないのが、当然なんです。私、年上の人に敬語で話しかけられた事なんて無いから、その、何だか、居心地悪くて……」
「成程。戦巫女様の世界の常識と、我々の常識は、多少異なるようですね」
 未来の言葉に、スティーヴは顎に手をやり、何度か頷いた後、わかりました、と応える。
「流石に、公衆の面前では態度を崩せませんが、このように私的な場では、戦巫女様のお気が楽になるように、努めましょう」
「未来でいいです、未来で」
「わかった。これでいいかな、未来ちゃん?」
 いともあっさりと、スティーヴは口調を変えて、片目をつむってみせた。順応性の高さは、優秀な騎士である証なのだろうが。
「その代わり未来ちゃんも、僕の事は、『さん』づけ無しで、呼んでくれるかな」
「は、はい、スティー……ヴ」
 自分で頼み込んだとは云え、男性に「ちゃん」づけで呼ばれるなど、元の世界では、6歳年上の従兄に、くらいしか無かった。先程以上に顔を赤らめて、下を向いてしまう。しかも、弟以外で異性の名を呼び捨てにした経験など、未来の人生の記憶には、ただの一度たりとも残っていない。心臓が、早鐘を打っているのがわかる。
「と…っ、ところで」
 何とか動揺を悟られないように、話題を見出だそうとして、未来の口から飛び出したのは、互いが共通に知る人物の事だった。
「スティーヴとファルスディーン王子って、仲が良さそうですよね。相手は王子様なのに、ファル、なんて呼び捨てにしているし」
 するとスティーヴは、ああ、と応える。
「僕はファルの乳兄弟なんだよ」
「……ちきょ?」
「僕の母が、ファルの乳母なんだ。未来ちゃんの世界には、無いかな?」
 乳兄弟と言う単語にはピンと来なかったが、乳母と言われて、わかった。日本史や古典の授業で、何度か聞いた事がある。
「まあ、それで僕が、ファルの護衛騎士に選ばれたようなものなんだけれどね」
 スティーヴは肩をすくめてみせたが、すぐに真顔に戻ると、
「未来ちゃん」
 改めて未来の名を呼んだ。
「ファルの事、あんまり嫌いにならないで、やってくれるかな」
 真意をはかりかねて、未来が怪訝そうな表情を見せると、彼は言った。
「さっき、『外見で損をした事も無い人が』って、言ったよね。僕達は、未来ちゃんが元の世界でどんな経験をしてきたのか、まだ出会って2日だから、知る由も無いけれど、ファルもあれで、苦労しているんだ」
 真っ直ぐに未来を見つめて、スティーヴは続ける。
「フォルカ王を見ただろう? フォルティア王族は代々、あの方のように、青い髪に、金色の瞳をしているのが、当たり前だったんだ。だが、ファルは」
 言われて未来は、ファルスディーンの姿を思い返す。すぐに脳裏に描けるほど鮮やかな赤い髪と、印象の強い紫の瞳を。
「初代女王フェリシア様は、ファルと同じ容姿だったとも言われているけれど、フォルティア王族と言えば、イコール青い髪に金の瞳だったんだ。それで、先王…ファルの父君には、自分の子じゃないんじゃないかって、かなり疎まれてね」
 未来ははっと息を呑んだ。本の中や、テレビでくらいしか知らないが、親に拒絶された子供が、どんな孤独感を抱くかは、経験が無くとも、ある程度想像がつく。
「その先王が早くに亡くなった為に、ファルが成人する18歳までは、フォルカ様が代わりに王を務める、と決まったものの、そんな事情があるから、ファルを王太子として認めていない輩も、多いんだよ」
 それで先程の違和感に、納得がいった。ファルスディーンに触れないように、居ない者のように扱う、臣下達の態度。ファルスディーンに、この城内で、味方は決して多くはないのだ。
 そんな彼に、お互い知らなかったとは云え、酷い言葉をぶつけてしまった事を、未来は悔やむ。
「私」
 うつむき、呟くように洩らす。
「彼に、謝らないと」
「誰に謝るって?」
 唐突に、スティーヴ以外の声がしたので、未来は、目に見えるほど、びくうううっと、すくみあがってしまった。
 ぎくしゃくと声の方を向けば、謝らねば、と言ったファルスディーン本人が、怪訝そうに眉をひそめて立っている。スティーヴが、密かに口の端を持ち上げている事から、彼は既に、王太子の気配に気づいていたのだろう。意外に意地が悪い。
「まあ、いい」
 未来の動揺にも、スティーヴの含み笑いにも感づかないまま、ファルスディーンは告げた。
「出陣が決まった。ステアとネーデブルグと国境を共有するラプンデルに、魔物の群が攻めて来たと云う報告が届いた。討伐の遠征に、戦巫女、お前も同行してもらう」
「戦い…なの?」
 未来の頬がひきつった。昨日の、魔物に襲われた体験を思い出す。群と云うからには、ああいうものが、一匹や二匹では、済まないはずだ。
 だが、ファルスディーンは、こちらの怯えを予測していたかのように、すぐさま続ける。
「お前は後方に居ればいい。戦は、我々フォルティア騎士団と、ネーデブルグから応援に来る、戦巫女とで行う」
 未来が金の瞳をみはると、紫の瞳をすっと細め、王太子は宣告する。
「フォルティアの戦巫女が居る、それだけで兵の士気は上がる。お前は、戦わない代わりに、逃げもしなければ、それでいい」
 それはつまり、名ばかりの、お飾りの戦巫女であれと云う事だ。やはり自分は、この世界でも、誰かにとっては邪魔で、役に立てないのか。
「出発は明朝になる。それまでに、準備を整えておけ」
 うなだれている間に、ファルスディーンはさっさと踵を返し、図書館を出て行く。
「……まったく、ファルも素直じゃない」
 スティーヴの呟きに顔を上げると、王太子の背を見送っていた彼は、苦笑を未来に向ける。
「人に優しくされた経験が少ないから、人に優しくするのが、苦手なんだよ、ファルは。あれでも充分、彼なりに、君を気遣ったんだ。出来る限り君を、戦から遠ざけたいとね」
 それならば、そう率直に言えば良いのに。何故、他人を介して通訳までしてもらわなければ、本心がわからないのだろうか。未来は少々呆れ、それから、思い出した。
 ファルスディーンに、謝る機会を逸した事を。

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