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 秋口を迎えて、ラプンデルの夜は冷え込む。町の郊外、戦いの為の陣が敷かれた場所では、あちこちで火が焚かれ、暖と灯りをとっていた。
「ファル、全兵の配置が終わりました」
「ご苦労」
 いつもの黒い騎士服の上に、深緑のマントを羽織ったファルスディーンは、見張り台に立って、腕を組み、前方、ステア方面を見つめたまま、背後からやって来たスティーヴに、言葉を返した。
「だが、気を抜くなよ。これからが本番だ。俺達は、魔物を一匹たりとも、町に入れてはならない」
「未来ちゃんも居ますしね」
 さらりと応える部下に、ファルスディーンは、微妙な表情をして振り返る。
「何だ、お前。いつの間に、あの戦巫女を随分となれなれしく呼ぶようになった」
「いつの間にかですよ」
 スティーヴは、不敵な笑みを王太子に向けた。
「羨ましいなら、貴方も呼んでみたらどうです」
「だ、誰が羨ましいなどと言った!」
 ファルスディーンが声を荒げ、しかし心無しか、頬を紅潮させて、再び前を見る。
「まったく、お前は、主君に対して敬意を払うと云う事を、知らないのか」
「心外ですね。これでも充分過ぎるくらい、貴方には尽くしていると、自負していますが」
「口だけは達者だ」
 ファルスディーンは苦笑を洩らし、それから、紫の瞳に真剣な光を宿して、前方の闇を見すえた。スティーヴも笑みを消し、腰の剣の柄に手をかける。
「来たようですね」
 護衛騎士の言葉に、無言だが頷いて返し、ファルスディーンも、すらりと、長剣を鞘から抜くと、見張り台を身軽に飛び降り、周囲の兵達に向けて、声を張り上げた。
「魔物が来るぞ、各員、応戦態勢に入れ!」
 たちまち辺りに、ただならぬ緊張が満ちる。
 ステアが宣戦布告を行うまで、フォルティアには長らく、戦が無かった。今日が初陣だと云う兵も大勢居るだろう。全員を死なせない戦いなど、出来ないかもしれない。しかし、出来得る限り犠牲を出さない戦いを行うのが、王太子である自分の務めだ。
 もう、獣型の魔物の姿が、しっかりと見える。ファルスディーンは剣を振りかざし、雄叫びをあげながら走り出して、前線に躍り出た。
 まっすぐ突っ込んで来る一匹の首をはね、返す刀で、右から飛びかかって来た魔物の喉に刃を突き立て、一気に腹まで切り裂き、黒の粒子に還す。正面からの三匹目を振り払った時、右腕が、ずきりと痛んだ。
「ファル!」
 怯んだ王太子に向け、魔物が走り込むところを、スティーヴが次々斬り捨てた。未来の予感した通り、ファルスディーンが負った右腕の傷は、全快していなかったのだ。フェーブル城で、彼の為に回復魔法を行使してくれる癒し手は、存在しなかったし、彼自身が、負傷を服の下に隠し、誰にも告げなかったからだ。
「ファル、無茶はしないでください!」
 たちまち二匹を斬り払い、護衛騎士が怒鳴る。既に戦線は、人と魔物とが入り乱れる、乱戦と化していた。
「ネーデブルグの戦巫女様だ!」
 誰かが声をあげたのを聞き、ファルスディーンとスティーヴは、剣を振るう手を止める事は出来なかったものの、兵達が沸き立つ方向を見やる。
 黒い長剣を解放し、両手で握り締めた瀬戸口芙美香は、女性とは、否、人間とは思えない速度で、魔物の群へ駆け込んでゆき、剣を振るった。三匹が一斉に、黒の粒子に還る。魔物が飛びかかると、彼女は、当たり前のように地を軽く蹴って、宙へと、飛んだ。
 誰もが驚き、思わず見上げてしまう中、芙美香は、長剣を右手だけで持ち、左手に意識を集中させて、黒い、小型の刃を生み出す。放たれた刃は、的確に魔物の急所を貫いた。そのまま手を休めず、宙を蹴って加速すると、その勢いで、更に四匹を、なぎ払った。
 最早伝説と化していた、戦巫女の超人的な能力を目の当たりにするのは、兵達の戦意を昂揚させるに充分だった。彼らも、武器を握り直し、果敢に魔物に立ち向かってゆく。
 しかし、死者こそまだ出ていないものの、傷を負い、後退を余儀無くされる者は続出した。重傷者が町の中へと運び込まれ、残る者で、その穴を埋める事になるが、彼らさえも、身体のどこかに、魔物の爪によるひっかき傷を作っている状態だ。恐らく、最前線に居ながら無傷であるのは、戦巫女の能力で身軽に動き回る、芙美香ぐらいのものだろう。
 それでも、半刻ほど戦い続け、魔物の群の大半を、黒の粒子に還した頃、ファルスディーンはふと、違和感を覚えて、戦場を見渡した。
「これで全部なのか?」
 己の背後を守っていたスティーヴに問いかける。
「確かに、予測していたよりは、襲撃の手がぬるい気もしますが……」
 護衛騎士は応え、そしてはっと上空を見上げた。ファルスディーンもつられる。闇に紛れていたが、彼らにも確かに見えた。空を舞って、迷う事無く町の方へと向かってゆく、翼持つ新手が。
「くそっ、狙いは後方か!?」
「こちらは、戦力を町の内部から離す為の陽動。それに、まんまとはまったようですね」
 激昂するファルスディーンと対照的に、スティーヴは淡々と事実を述べたが、その表情は、真剣だ。
「戻りなよ、王子様!」
 魔物を斬り捨てながら、芙美香が怒鳴った。
「ここは、あたしが居れば何とかなるでしょ。未来ちゃん達を守ってあげて!」
「しかし……」
「芙美香殿の仰る通りです」
 躊躇う王太子の前に駆け出て、残る魔物を振り払い、スティーヴが告げる。
「今、町の中に、戦える者はおりません。貴方が、自国の戦巫女を守らずに、他の誰が守るのですか」
 護衛騎士の言葉に、ファルスディーンははっと紫の瞳をみはった。
 自分が召喚した戦巫女だ。しかも、異世界に突然、一人呼ばれ、戸惑っている内に、戦いに放り込まれて、どれだけ心細いか。ステアとの戦ばかりに気を取られて、思い至る暇も無かった。
 ファルスディーンは強く唇をかみしめた。そして、まだ痛む右腕をなだめつつ、剣を握り直すと、
「すまん、頼む!」
 スティーヴと芙美香に頭を下げ、踵を返し、町の中へと走って行った。
「さっすが、護衛騎士筆頭さん。あの王子様の性格、良くわかってるじゃない」
「伊達に、十数年付き合っていませんから」
 芙美香とスティーヴは背を寄せ合い、軽口を交わす。それから二人は別れ、数は減ったが、まだ残っている魔物達に、斬り込んで行った。

 町の中央広場には、臨時の救護施設が置かれ、傷を負って、前線から後退した者が、次々運び込まれていた。たちまちあたりには、むせ返るような血のにおいと、負傷者の呻き声が満ちる。
 しかし、自分より幼いサフィニアさえ、顔色を変えず、白い服が汚れるのも厭わずに、怪我人の傍にかがみこみ、手をかざして、回復魔法で傷を癒しているのだ。名目上だけでも戦巫女である自分が、怯む訳にはいかない。新たに運ばれて来た者の元へ、未来は駆け寄る。
 彼は、脇腹をざっくりと切り裂かれていた。ぱっくり割れた傷口からは、血がとめどなくあふれ、あっという間に、横たえられた布を赤く汚す。見ているだけで貧血を起こしそうだったが、心で己を叱咤し、止血の為に清潔な布を巻こうとした、その時、未来より一回りほど小さい、白い手が伸びて来た。
「何故、無駄な事をなさるのですか」
 サフィニアだった。彼女の手から、温かい光が洩れると、みるみるうちに傷は塞がり、苦悶に満ちていた怪我人の表情も、穏やかなものに変わった。
「わたくしの力を使えば、大抵の傷は治ります。貴女のしている事は、怪我をされた方達の、苦痛を取り払う事には、なりません」
 ファルスディーンに相対した時の、甘ったれるような口調は何処へやら、サフィニアは強い調子で告げる。
 しかしこれが、自分達の世界でのやり方だ。一瞬で痛みを癒す術など、存在しないのだ。そう言い返せず、未来が口をつぐんだ時だった。
「魔物だ! 魔物が空から来たぞ!」
 誰かが叫ぶのを聞いて、未来は頭上を見上げた。暗い夜闇の中を舞う、翼持つ異形の姿が、見える。隣でサフィニアが、ひっとうずくまる。
「嫌、助けて、ファルスディーン様。サフィニアは、戦えません……!」
 サフィニアはがたがた震えながら、ファルスディーンの名を呼ぶ。ここに戦える者は、居ない。どうする。どうすれば良いのか。
 逡巡した未来の耳に、
「戦巫女、ステアの為に、その命頂戴する!」
 突如、背後から、そんな叫びが飛びかかって来た。
 慌てて首だけを巡らせた、未来の金色の瞳に、刃の鈍い輝きが映る。ラプンデル警備兵の姿をした暗殺者は、鋭く研かれた短剣を、迷い無く未来に向けて、突っ込んで来た。かわす余裕は無い。よしんば避けたとしても、真後ろに居るサフィニアが被害を被る可能性がある。
 頭が真っ白になる。未来は叫んでいた。
「―――嫌っ!」
 その瞬間。
『力を望むか、戦巫女。ならば、存分に振るうが良い』
 耳ではなく、頭の中に直接届くような声が響いた直後、未来の体内で、何かが弾けた。身体の奥から突き上げるような衝動は、銀の光となって具現化し、未来から溢れ出た。
 ばしん!と、暗殺者が、未来の目の前で、何かにぶつかったように仰け反り、気絶して、横様に倒れた。
 何が起きたのか、わからず、未来は一瞬、ほうけてしまう。しかし良く見れば、自分の前に、銀色に輝く、薄い壁のようなものが、出来ている。それが障壁となって、未来を守ったのだ。
 銀の壁は、音も無くすうっと消える。未来は今度は、空を振り仰いだ。
 これまで、どうすれば戦巫女の能力が使えるのか、皆目見当がつかず、悩んでいたのがまるで嘘のように、未来の体内に、銀色の力が満ちているのが、わかる。そしてそれを、どう行使すれば良いのかも。
「来ないで!」
 上空から、飛びかかって来る魔物の群に向けて、未来は強く叫んだ。その途端、未来の周囲に幾つもの銀の光が生じ、刃の形を成したかと思うと、まっすぐ魔物達へと放たれる。刃は迷う事無く次々と、敵の急所を貫き、あっという間に、黒の粒子へと還した。
 わずかに残った魔物が、最後の抵抗とばかりに舞い降りて来るが、未来は逃げ出さなかった。
 恐怖は心を占めている。しかし、この世界に初めて来た日とは、違う。もう、戦える。自信が彼女の身を支えた。
「皆を守って」
 その言葉に反応して、銀色の壁が、頭上を覆い、魔物の進撃を阻む。
「火。出せる?」
 疑問形であったが、未来の中に生まれた力は、彼女の希望に応えた。銀色の炎が、ごうと音を立てて夜空をなめ、残っていた魔物全てを、消滅させた。
 炎が消え、それに照らされていた町は、再び暗さと静けさを取り戻す。しかししばらくの間、誰もその静寂を破る事が、出来なかった。それをもたらした、未来自身でさえも。
「……戦巫女?」
 沈黙に堪え難くなってきた頃、唖然とした声が、うつむいていた未来の耳に届いた。顔を上げると、ファルスディーンが、信じがたい、と云う面持ちで、未来を見つめている。
「力に、目覚めたのか」
 声には、驚きと、微かに、どこか安堵した色が、含まれている。未来は無言で頷き、それから、ファルスディーンの元に歩み寄ると、剣を握ったままの、彼の腕を取った。
 王太子は、わずかに呻いて、剣を取り落としかけるが、左手でそれを受け止め、未来の足元に落ちるのは避けられた。未来は、それに構わず、ファルスディーンの服の袖をまくり、右腕に巻かれた、血のにじんだ包帯を、確認する。
 やはり、思い過ごしではなかった。
 その傷を負わせたのは、自分だ。謝罪の代わりに、別の言葉を、舌に乗せる。
「治して」
 かざした手から、銀の光が放たれ、相手の腕に吸い込まれる。ファルスディーンはしばし、ぽかんとそれを見つめていたが、やがて、するすると包帯を外し、腕を動かして、傷が跡形も無くなった事を確認した。
 紫の瞳が、初めて、敬意を宿して、未来に向けられる。それを見て、未来の口から、その言葉は、自然に洩れた。
「迷惑をかけて、ごめんなさい」

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