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 アイゼンハース城の謁見の間では、ネーデブルグ王カーレオンが座して、昨日までの余裕に満ちた態度はどこへやら、落ち着き無く肘掛けをとんとん叩き、きょどきょどと視線を彷徨わせている。
「もう一度言います、陛下」
 その前に、形ばかりはかしこまってひざまづき、しかし強い口調で、芙美香ふみかは申し出た。
「フォルティアの戦巫女を救いに行く為、エズリルへの進撃許可を」
「ならん……ならんぞ……」
 カーレオンは自分の手を揉み弄びながら、芙美香に目を向ける事も無く洩らす。
「フォルティアの戦巫女が、最強の戦巫女が居ないのに、ステアに攻め込むなど」
 それを助けに行くのでは無いか。誰も攻め込めとは言っていない。自分一人で行く事も厭わない。あの、ヒューリとか呼ばれた女は、喧嘩を吹っかける気が満々だろうが、可能ならば穏便に、未来を取り戻したい。それなのに、この馬鹿王は。
 芙美香が苛立ちを募らせ、声を荒げようとした時だった。謁見の間に近づいて来る幾つかの足音と、
「ファルスディーン様、お待ちくださいませ、ファルスディーン様!」
「ファル、サフィニア姫のお言葉に従ってください!」
 必死に引き止めるサフィニアと、珍しく強い口調のスティーヴの声が聞こえたかと思うと、ばん、と扉が開かれた。
 ステアの戦巫女―交わされた会話が真実ならば、未来の弟だ―に傷を負わされ、血まみれのまま運ばれて行って、最前まで床についていたのだろう。痛々しく包帯を巻いた身の上に、いつもの騎士服を羽織っただけで、赤い髪も乱れているファルスディーンは、しかし紫の瞳から光を失わず、毅然とカーレオンを見すえると、その前へ進み出て、膝をつき、ゆっくり頭を垂れた。
「カーレオン陛下、お願いがございます」
 ファルスディーンは澱む事無く言葉を継ぐ。
「どうか、グランシャリオを、私にお貸し与えください。それをもって、私一人で、戦巫女を救出にまいります故」
 カーレオンの頬がぴくりと引きつるのが、芙美香には小気味良かった。しかし。
「無茶です、ファル」
 おろおろするばかりなサフィニアの後方に立つスティーヴが、声をあげる。
「サフィニア様の回復の術で、傷口が塞がったとは云え、本来は、まだ動くのさえ、許されない状態です」
 回復魔法は、瞬時に傷を癒す事が出来る。だが、それは表面的なもので、病や、内臓にまで達した傷はなかなか癒し得ない。ファルスディーンの現状は、後者だ。
 そして、問題はもう一つ。
「グランシャリオの転移能力は、見た事か、行った事のある場所までしか及ばない、って聞いた事が、あるけど」
 芙美香が眉をひそめると、ファルスディーンは顔を上げ、
「問題無い」
 自信を持って答えた。
「エズリルには幼い頃、叔父上……フォルカ王と共に訪れた事がある。行ける」
 そして再び前を向き、カーレオンに頭を下げる。
「陛下、どうか」
「算段は、有るのか」
 カーレオンは、声までややうわずらせながら、ファルスディーンに問うた。
「戦巫女を取り戻す算段は」
「失敗すれば、私が命を失うだけです。ネーデブルグにご迷惑はおかけしないように、全力で努めます」
 きっぱりと言い切るファルスディーンの気迫に押され、カーレオンは、ぎくしゃく頷くしか無かった。
「わ、わかった。事が済み次第、速やかに返すのだぞ」
「感謝いたします」
 カーレオンが差し出した秘剣を、ファルスディーンは鞘ごと、両手でおしいただく。そしてそれを腰に佩くと、怪我を感じさせぬしっかりとした足取りで、謁見の間を出て行くのだった。

 全身が重い。
 寝起きは悪い方では無い。いつもなら、眠って目覚めれば、倦怠感など取れているのに、今回ばかりは、瞼を持ち上げるのさえ億劫だった。だが、何とか目を開き、ぼうっとする頭で、未来は、自分の今の状況を把握しようと努める。
 このところ、各地を転々として、目覚める度に枕が違うのには慣れた。だが、この違和感は。
 そこで急速に記憶が蘇り、未来はかけられた毛布をはねのけながら飛び起きた。見渡せば、どこかの客室のようだ。ベッドもきちんと整えられたものではあったが、未来は、己が身に起こった出来事を振り返る。
 そうだ、アイゼンハースがステアに攻め込まれ、自分は、銀髪の少女に捕まって。ファルスディーンは酷い怪我を負っていた。無事だろうか。
 その傷を負わせたのは。
「利っくん……」
「姉ちゃん」
 名を呟くと、その当人の声が返って来たので、未来は思わずびくりと肩をすくめ、それから、恐る恐る声の方を向いた。
 そこには、利久が、いつに無く深刻な顔をして、立っていた。いつも、未来が学校でいじめられると、表情を曇らせていた弟だが、ここまで翳りを帯びた事は無かった。
 やはり記憶の中より、少しだけ、背と髪が伸びている。未来がフォルティアに来てから、数ヶ月が過ぎているのだから、利久にも、同じだけ―ともすればそれ以上―の時間の経過があったと考えて、差し支え無いだろう。
「ここは、ステアなの?」
 姉の質問に、利久はこくりと頷き、しばし黙りこくった後、
「……何でだよ」
 心に溜まった苦しさを吐き出すように、洩らした。
「何で姉ちゃんが、フォルティアの戦巫女なんだよ」
「何でって」
 それは、選ばれたから、としか答えようが無い。同じ質問が、返る。
「それよりも、利久だよ。どうして利久が、ステアの戦巫女なの。ステアの女王様は、フォルティアとネーデブルグに戦争を仕掛けた人でしょう。どうして、そんな酷い人に協力するの。利っくんらしくない」
「俺だって、好きでやってる訳じゃない! 好きで人を殺したりなんかするか!」
 唐突に、利久が声を荒げた。
「姉ちゃんにはわからないだろ、自分の背後に、アルテムの人達の……、百何十人もの命がある気持ちなんて」
 その一言で、未来は、利久がこの世界で背負った、重い物に感づいた。
 利久は昔から、責任感が強い。
 小学生の頃、利久はサッカークラブに所属していた。その頃から彼の才能は惜しみ無く発揮され、チームは地区大会の決勝まで進んだ。利久さえ居れば勝てると、周囲の誰もが、言っていた。
 しかし、決勝当日の朝、会場へ向かう途中、利久は自転車と接触して、足を痛めた。信号を無視して突っ込んで来た、相手が完全に悪い事故だったが、そのまま逃げられ、利久は痛む足で会場へ行き、試合に出場したものの、全く思うような動きを出来ず、結果、チームは敗退した。
 利久はその直後、クラブから退団した。
 中学にあがった時、かつての仲間達が、もう一度一緒にサッカーをしよう、と熱心に誘ってくれ、両親や未来の後押しもあって、利久は再びスパイクを履く事になったのだが、また、エースと呼ばれるようになった今でも、自分の失敗で、チームメイトに迷惑が及ぶのを、酷く恐れている節があった。
 恐らく弟は、恩の有る人達を、ステアに質として取られたのだろう。そして、どんなに己の道徳心に反しても、彼らを見捨てる事は、出来ない。
「バロック将軍も同じだ。奥さんと娘を人質に取られてる。ステアの兵は皆、いつセルマリア女王に粛清されるか恐くて逆らえない。それだけで、逃げ出せずにいる」
 苦しげに告げる弟の横顔を見て、何とかその苦しみを消す事はかなわないかと思案し、未来は、ベッドから抜け出して、利久の元に近づくと、その腕を取る。
「利久、逃げよう」
 未来は告げた。
「ファルスディーンや、カーレオン王に頼めば、何とかしてくれるかも知れないから」
 しかし、姉の気遣いは、ぱしんと乾いた音を立てて手を払われる事で報われた。
「俺が戦巫女でも何とか出来なかったのに、ただの人間に、何が出来るって言うんだよ、姉ちゃんは!?」
 そんな冷たい、弟の態度を真正面から受けるのは、生まれて初めてだった。金の瞳を見張って立ち尽くしてしまう未来の背後から、
「そうそう。余計な事されちゃあ、楽しくなくなっちゃいますのことよ」
 くつくつと嫌な笑い声が聞こえたと同時、未来は首筋に熱を感じた。噛まれた、と理解したのは、しばらく間があってからだ。
「ヒューリ、何してる!」
 利久が顔色を変えて怒鳴りつけると、ヒューリ・リンドブルムは、悪戯っぽい笑いを洩らしたまま、血と唾液の混じり合った筋を引きながら、未来の首から顔を離し、ぺろりと口元を舌で舐めた。
「ふふ、あんまりおいしそうな肌してるから、思わず、噛みつきたくなっちゃっただけですね」
 少しも悪びれた様子も無く、少女は言い放ち、傷を押さえて、多少青ざめる未来に、再度顔を近づけて、囁きかけた。
「会ってみる、『酷い人』に。セルマリア女王様に?」

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