BACKTOPNEXT


 ステア王都エズリル城に、不用意に近づく者は居ない。不審者と断じられれば、即座にその場で斬り捨てられる。
 かつて、セルマリア女王は、広く門を開き、訪れるどんな者にも、温かい笑みを浮かべて接したと云うが、今や、そんな穏やかな空気は、欠片も残っていない。城門を守る兵達は、油断無く、周囲に気を配って、緊張し続けねばならなかった。
 そんな彼らの眼前で、七色の光が生じた。驚いて武器を構える兵達の前に現れたのは、赤い髪に紫の瞳の少年。そんな特徴的な外見をした者は、この大陸にそう多くは無い。
「フォルティア王太子、ファルスディーン・フォン・フォルティアだ」
 少年が名乗った事が、目の前の人物が誰であるか、兵士達に確実に認識させた。
「我が国の戦巫女を、返してもらいに来た。通してもらおう。邪魔だてするなら」
 金とも銀ともつかぬ秘剣グランシャリオをかざして、ファルスディーンは、瞳をすっと細める。
「斬る事も辞さない」

 エズリル城の王の間は、フェーブルやアイゼンハースと違い、暖かみが皆無だった。窓にはカーテンが引かれて光をことごとく遮断し、暗く、冷たい。
 引きずるように腕を引いて来たヒューリに、どん、と背を押されて、未来はつんのめるように、玉座を真正面に見上げる位置に進み出た。玉座より一段低い所に居た、厳めしい面構えの男性―バロック将軍―が、未来に敬意を示して頭を垂れた後、緊張した面持ちで、玉座に向き直る。その視線を追って、未来は玉座に居る人物を見、身をすくませた。
 ステアの主セルマリア・フォン・ステアは、女性だった。恐らく30の齢は越えているだろうが、白磁のように滑らかな肌と、艶やかな黒髪を持つ、整った顔立ちが、実年齢より若く見せる。引き結んだ唇は、冷静で冷徹な印象だ。
 しかし、確かに美人だが、何か異様な雰囲気を感じて、未来は思い至った。女王は、そこに居る、それだけでも、非常に機械的、あるいは人形的な印象を、与えるのだ。深海のように深い蒼の瞳に、光は差さず、ただ、空虚さだけがそこに在った。
 未来は、女王にひざまづく事をしなかった。膝をついたら、そのまま心まで屈してしまいそうな気がしたので、ぐっと拳を握り込み、真っ直ぐに、相手を見すえる。
「勇ましいものだな、フォルティアの戦巫女」
 やがて、女王から口を開いた。その口調は単調だが、底知れぬ恐れの感情を与え、顔はにこりとも微笑まない。
 声を聞いて、未来は、どこかで聞き覚えがあると考え、思い出す。この世界に呼ばれた時の、あの女の声だ。
「貴女が、私達を……利久を、この世界に呼んだの」
「お前まで紛れ込んだのは、予定外だったがな」
 未来がきっと見すえると、セルマリアは鷹揚に頷き、感情の揺れを示す事無く続ける。
「だが、お前も戦巫女として覚醒した今、少なからぬ価値はある」
 人間らしさを微塵も与えず、冷たく見下ろして、セルマリアは未来に告げた。
「選ばせてやろう。我が元で、弟と共に力を振るって生きるか。逆らって、不様に死するか」
「陛下あ、そんな、選択肢なんて余裕、与えなくたって、いいんじゃないですかあ」
 ヒューリが、張り詰めた空気など関係無いとばかりに、まるで天気の話でもしているような陽気な声をあげて、未来の肩から首筋を、撫であげる。
「いっそ一思いに、ってのも慈悲ですの」
「やめろ!」
 後方で利久が叫んだ。
「姉ちゃんは関係無い!」
 瞬間、暗いはずの王の間に光が満ち、ばしん、と何かが弾ける音がした。ヒューリが放った光弾で、利久が跳ね飛ばされたのだとわかったのは、弟が、ごろごろ床を転がってからだ。
「キミの意見は聞いてない」
 切ったか、口から垂れた血の筋を拭いながら起き上がる利久に、ヒューリが嘲笑を向ける。
「ああ、こっちのが強いんだもの、使えるなら、もうキミは用済み、って話もありますのね」
「―やめて!」
 邪悪な笑みを浮かべるヒューリに、未来が振り返ると、女王が、やはり少しも表情を動かす事無く宣告する。
「それはお前の言葉一つ次第だ、フォルティアの戦巫女」
 どんな言葉を求められているか、未来にはもうわかっていた。今この場で利久を救えるのは、自分の一言だけだ。
 それを言えば、利久を救える。今まで、助けてもらってばかりだった弟に、少しばかりは恩を返せる事に、なるだろうか。
 だがそれは同時に、今まで共に戦い、守って来た人々を、裏切る事になる。芙美香、スティーヴ、フォルカ王……様々な人々の顔が、未来の脳裏を横切る。
「私は……」
 最後に心を占めたのは、ファルスディーンの存在だった。
「私、は」
 震えて喉に詰まる声を絞り出して、未来が、決定的な言葉を、述べようとした、まさにその時だった。
「陛下!」
 王の間に、慌てふためいた様子の兵が、駆け込んで来たのは。
「なあに、いいとこだったのに。楽しい事じゃ無かったら、殺すよ?」
「は、ははっ、申し訳ございません、しかし、急を要する事態ゆえ、お許しを!」
 不機嫌に頬を膨らませ、さらりと残酷な台詞を吐くヒューリに平伏し、兵は続けた。
「フォルティアの王太子を名乗る者が、単身乗り込んでまいりました。どうか、対応のご指示を」
 利久が、バロックが驚きを浮かべ、ヒューリが愉快そうに口元を歪めた。セルマリアは、やはり能面のように無表情だったが。
 そして未来の心臓は跳ねる。
 来てくれたと云うのか、彼が。ファルスディーンが。
「一人か」
「はっ。供の者も無しに」
 問いに兵が答えると、セルマリアは、全く動じる事も無く、命じた。
「通してやれ」
 命令を受けた兵が消えてから、戻って来るまで、ものの数分と無かっただろう。だが未来には、その時間が、とてつもなく長く感じられた。試験の時、問題を解いて、見直しをして、余る時間は、長く思えるものだったが、それ以上であった。
 やがて、兵の後ろから王の間に入って来た、ファルスディーンの瞳は、真っ先に未来を捉えた。
「未来!」
 未来の名を呼んで、王太子は、真っ直ぐこちらに駆け寄って来る。
「無事か!?」
 紫の瞳に見つめられると、途端に、涙が溢れ出そうになったが、堪えて、しっかりと頷く。それを見届けたファルスディーンは、一瞬ほっとしたが、すぐに表情を引き締め、今は敵国とは云え、隣国の女王に敬意を払って、ひざまづいた。
「ご無沙汰しております、セルマリア女王陛下」
「一人で来たか」
 セルマリアは淡々と告げる。
「大した度胸だ」
「恐れ入ります」
 ステアの民が畏怖する女王相手に、少しも臆する事無くファルスディーンは応え、強い意志をもって、相手を見すえる。しばし、互いの視線がぶつかった後、
「行くが良い」
 セルマリアが、ファルスディーンと未来を交互に見やって、告げた。
「その胆力に免じて、戦巫女を返してやる。早々に帰るのだな」
 そして、冷たく言い放つ。
「命を奪うのは、改めて、戦場で構わぬだろう」
 未来は息を呑んだが、ファルスディーンは感情を抑えて、セルマリアに頭を下げる。そして、立ち上がると、未来の手を取り、踵を返した。
 手を引かれながら、未来は周囲を見た。バロックは、二人に向けて深々と頭を垂れていた。ヒューリは何故か、にたりと笑みを洩らす。最後に利久と目が合った。
「利っくん」
 手を、差し伸べたかった。声を張り上げたかった、共に行こうと。だが弟は、一言も返さず、視線を逸らしただけだった。
 いつでも未来をかばい、守り、理解してくれていた弟に、拒絶された。その事実に、未来の心は揺らぎ、身体も揺らぎ、足をもつれさせて、ファルスディーンに少しばかり寄りかかる形になった。ファルスディーンが怪訝そうに見下ろす。未来は無言で、何とも無い、と首を横に振り、利久に背を向けた。
 王の間を出ると、扉が閉ざされる。姉弟を隔てたその重みは、二度と開かれないような気が、未来にはした。

 グランシャリオの力で、未来はファルスディーンと共に、アイゼンハースの城門近くに転移した。
「あれが、お前の弟か」
 しばらく互いに無言の後、放たれたファルスディーンの言葉に、未来はゆっくりと頷き、それから、その弟が、ファルスディーンを傷つけた事実を思い出して、詫びを告げる。
「ごめんなさい、利久が」
「謝るな。俺は大事無いから」
 ファルスディーンにそうそっけなく言われ、未来が黙りこくってしまうと、彼は振り返り、ぎょっとした表情を見せた。
「何故、泣いている」
 言われて初めて、未来は自分が涙を流している事に気がついた。何でも無い。そう誤魔化そうとしたが、それが出来ずに、嗚咽が洩れる。
「私、利久と本気で喧嘩した事、無いの。その前に、私がすごく落ち込むか、利久が折れるかして、どちらかから、謝っちゃったから」
 しゃくりあげながら、未来は吐き出すようにファルスディーンに告白した。
 すると、不意に、頭を抱き寄せられた。自然、未来はファルスディーンの胸に、顔をうずめる形になる。
「俺にはきょうだいが居ない。スティーヴが兄のようなものだが、やはり実の兄弟では無い。だから、お前がどのような思いをしているか、本当に理解する事など、到底出来ないが」
 ファルスディーンが、いつに無く優しい声色で、告げる。
「離別は苦しいものだろう。辛いなら、泣けばいい」
 言われて、未来の緊張の糸は、完全に切れた。ファルスディーンの服をぐしゃぐしゃになるまで掴んで、むせび泣く。ファルスディーンは、未来が一通りの悲しみを出し切るまで、何も言わずに、未来の泣くがままに任せた。
 やがて、涙も尽き、未来は顔を上げる。紫の瞳が、穏やかに見下ろしていた。今更気恥ずかしさを覚え、離れようとして、しかし未来は、急速に目眩に襲われて、崩れ落ちた。
「未来!」
 地面に倒れ込む前に、ファルスディーンが慌てて支える。この世界に来てから、この構図を、もう何度繰り返しただろう。呑気に考える頭の中も、ぐるぐる回り出す。
「お前、本当に、何もされなかったのか!?」
 問われて、まとまりが無い頭で思い返し、感覚の薄くなって来た手を、首筋に当てる。
「そういえば、噛まれた……。あの、ヒューリって子に……」
「噛まれた!?」
 ファルスディーンの顔色が変わった。首の傷が、今更じくじくと痛む。
「おい、しっかりしろ、未来、未来!」
 何度も名を呼んでくれるファルスディーンの顔が、もう、ぼやけて見えない。
 ごめんね。
 声にならない声で未来は呟く。
 もう、こうして気を失うのも、最後にするから。
 そこで、未来の意識は途切れた。

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