4章:千年―ちとせ―

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「本当に、よく倒れる奴だな、お前は」
 昏々と眠り続ける未来に、ベッドの傍らの椅子に腰掛けたファルスディーンは、語りかける。冗談じみて浮かべていた微笑は、しかしすぐに消えた。
「だが、今回は、洒落にならないぞ」
 未来の閉じられた目は、金色の瞳を覗かせてはくれない。手が、唇が、動く事は無い。
 もう、丸々1日。
 目を覚ませ、と、耳元で大声で叫んでやりたかった。起きろ、と。いつものように、食いかかって来るがいい、と。
 怒って。
 泣いて。
 たまには、笑ってみせてくれ、と。

 アイゼンハースに戻った途端、倒れた未来を、ファルスディーンは、いまだ身の内の傷がじりじりと痛みを発するのも厭わずに、抱きかかえて、カーレオン王の元へ飛び込み、体裁も気にせずに頼み込んだ。
 助けてくれ、何とかしてくれと。
 カーレオンは、ファルスディーン以上に動揺しながらも、どうにか王の威厳は保って、サフィニアを始めとする、回復魔法を使える人間を召集した。しかしすぐに判明したのは、城中のどんな癒し手をもってしても、未来の意識を戻す事は出来ない、と云う事実だった。
 ファルスディーンは焦り、そして一人だけ、頼るつてが有る事を思い出した。
 ファルスディーンが幼い頃、奇病にかかって高熱に伏せり、城つきのどんな医師も匙を投げた時、珍しい薬草を駆使して救ってくれた、老医者が、フェーブル城下に居た。彼は偏屈で、怪我には全く見向きもせず、病気を治す事にしか興味が無かったが、どんな病か見抜く目と、薬草を選り治療する腕は、確かだった。
 ファルスディーンは、カーレオンにグランシャリオをいましばらく借り受ける猶予を貰うと、スティーヴと共に、未来を連れてフェーブルに戻った。居心地の悪い城に、帰りたくはなかったが、この際、己の個人的感情にこだわっている暇は無かった。
 変わり者の老医師は、しかしファルスディーンの要請に応えて、登城してくれた。10年近く前と全く変わらないように見える彼は、その老いた外見に反する、ぴんしゃんとした態度で未来を診た後、ファルスディーンに告げた。
「竜の毒ですな」
「竜の、毒?」
 ファルスディーンがおうむ返しに訊くと、老医者は頷き、続ける。
「非常に稀ですが、竜は毒を持っております。戦巫女様は、何処かで、その毒を受けたかと」
 言われてファルスディーンは、未来と共に過ごした数ヶ月を振り返る。未来は言葉一つで己の身を防御出来る。毒が体内に入り込むどころか、傷を受ける事自体が無かったはずだ。
 そこまで考えて、思い出す。エズリルで、ヒューリと云う女に噛まれたと、彼女が意識を失う寸前、洩らした事を。人間に噛まれて竜の毒を受けるなど、通常では考えられないが、相手は、戦巫女か神しか扱えないような、転移能力を有する人物だ。稀な毒を操っても、不思議では無い。
「その毒を食らうと、どうなる」
「まず昏睡状態に陥ります。このように」
 声を震わせるファルスディーンに、老医師は、未来を見やりながら応えた。
「見た目は、ただ眠っているように。しかし、ゆるりゆるりと時間をかけて、身が朽ちてゆき、最終的には」
 目を見開くファルスディーンの前で、一旦言葉を切り、医師は宣告した。
「死に至ります」
「……治す方法は」
「私には」
 呆然と問いかけると、老医者はかぶりを横に振った。

 どれくらい、こうして、眠る未来の横顔を見つめていただろうか。陽が沈み、部屋の中がすっかり暗くなるまで、スティーヴがいつの間にか、侍女達を全員追い出し、自身も出て行った事に、気づく余地も無かった。
 自分が呼んだ戦巫女だ。自分が守らねばならなかった。なのに、守りきれなかった。傷つけてしまった。
 否、それ以前からだ。戦など無いと云う世界から来た只の少女を、戦巫女だから、それだけの理由で、戦場に連れ出した。どれだけ心細く、恐ろしい思いをさせて来ただろうか。
 しまいには、弟と引き裂き、むざむざ、死に追いやろうとしている。
 どうにかならないのか。悔しさにファルスディーンはサイドテーブルを拳で叩き、老医師の言葉を頭の中で反芻して、ふと、ひっかかりを感じ、がばりと立ち上がった。
 出口に向かいかけ、足を止めて、未来の元へ引き返し、届かぬとわかっていても、囁きかける。
「必ず助けてやる。だから」
 死ぬな。
 最後の言葉は心の中で呟いて、ファルスディーンは未来の部屋を飛び出し、まだ客室に残っていた老医師の元へ駆け込んだ。
「貴方は、自分には、戦巫女を治せないと言ったな」
「確かに。私には」
 呑気に茶を飲みながら請け合う医師を見下ろして、ファルスディーンは、ある確率を、確信する。
「居るんだな、他には、治せる者が」
 老人は、ちらりとこちらを見上げ、それから、ファルスディーンがその間すらもどかしいと思うゆったりした動作で、茶の器をことりとテーブルに置くと、
「おります。私の知る限り、一人だけ」
 言った。
「誰だ、それは」
「かつて、魔王デア・セドルを封印した、8代目フォルティア戦巫女、刈谷千登勢かりやちとせ殿」
 挙げられた名前に、ファルスディーンは、こんな時にからかわれているのかと、かっとなって、ばしんと平手でテーブルを叩いた。
「馬鹿を言うな。千年も前の戦巫女が、生きているはずが、無いだろう!」
「生きております」
 老医師は、確証に満ちた声色で、告げる。
「ハーヴェル山の奥地に、一人庵を結び、千年。薬も毒も使いこなす方で、私が使う薬草の幾らかは、かの方に、定期的に私の弟子を遣わせて、譲り受けているものです」
 医師の目は真剣で、とても嘘をついているようには見えなかった。ハーヴェル山は、フォルティア領内だ。馬を全力で飛ばせば、2日も要らない。帰りは、グランシャリオを使えば一瞬だ。ファルスディーンの腹は、既に決まっていた。
 ファルスディーンは客室を飛び出し、何事かと驚いて見送る兵や侍女と何人もすれ違い、追い越した。最低限の旅仕度を整えると、城の裏手の厩に回り、
「とにかく走れればいい。速くて持久力のある奴を連れて来い」
 と要求して、馬番の少年を驚かせる。その頃になってようやく、スティーヴが駆けつけ、報せを受けた家臣達が、わらわらとやって来た。
「殿下、話は聞きましたぞ」
 普段、ファルスディーンを見下す連中が、ここぞとばかりに引き止める。王太子の暴走を抑えたと、点数稼ぎをする腹づもりだろう。
「何とぞ無茶はおやめください」
「そうですぞ。殿下を陥れようとする、あの老いぼれの戯言やも知れませぬ」
 お前達の言葉こそ戯言だ。苛立ちを感じながら、ファルスディーンは馬の背に飛び乗る。
「たとえそうであったとしても、このまま何もせず、手をこまねいている訳にはいかない。俺は行く」
「お考え直しください」
 身勝手な家臣達は、呆れたように互いに顔を見合わせた後、食い下がった。
「戦巫女に代わりはおりますが、フォルティアの第一王位継承者に、代わりはおられないのですぞ」
 それで完全に、ファルスディーンの堪忍袋の緒が切れた。
 代わりなど居ない。あの少女の、代わりの人間など。どの世界を探しても、一人として。
「王位継承者だって、いくらでも代わりはいるだろう、王座に就きたがる連中が!」
 家臣達を一喝して黙らせ、ファルスディーンは、馬を走らせる。唖然とする彼らの眼前を横切って、スティーヴの馬が、すぐさま後を追った。

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