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 スティーヴ・マクソンは、王太子の護衛騎士筆頭とは云え、身分はあくまで一騎士で、ファルスディーンの乳母であった母親も引退して久しいので、国葬は行われず、城下街の外れの墓地に、その遺体はひそやかに埋葬された。
「この者の魂が、女神アリスタリアの元で、永遠の安息を得ん事を」
 真新しい墓石の前で神父が口上をあげるのを、黒い喪服に身を包んだ未来は、ファルスディーンの隣でぼんやりと聞いていた。本当に、女神が居るのなら。自分達戦巫女を選んだのがアリスタリアなら。どうして、これだけの世界の危機に、自ら人々を救いに降りて来ないのだろうか。否、今、女神に思う事はひとつだけだ。何故、スティーヴの命が、あの残酷な少女に奪われるのを、止めてくれなかったのか。
 右側に、眉ひとつぴくりとも表情を動かさぬままのファルスディーン、左側に、悲嘆に暮れる芙美香。二人の間に挟まれると、そう考えずには、いられなかった。
 やがて葬儀は終わり、参列者達がぞろぞろと帰り始める。スティーヴの両親が、王太子がわざわざ街にまで降りて来てくれた事に、深い感謝を述べ、芙美香の肩を優しく抱いてその場を去ると、後には、未来とファルスディーンだけが残された。
「ファル、行こう」
 それなりの時間が経った後、墓石を見つめたまま動かないファルスディーンに、未来は声をかけた。
「風邪ひいちゃう」
 ファルスディーンが、ようやくのろのろと振り返った。そこに表情は無い。ゆっくり歩き出して、彼はいきなり苦痛に顔を歪め、転びかけた。右足の傷を、治していないままだった。咄嗟に未来が支えて、抱きとめる形になる。
「ファル、怪我を治さないと」
「平気だ」
 やはり、感情の欠落した、抑揚の無い声が返って来る。
「あいつが受けた苦しみに比べたら、この程度の傷など」
「駄目」
 未来は強く言い含め、自分の中の銀色の光に命じた。
「治して」
 たちまち光は、ファルスディーンの身に吸い込まれる。これで身体の傷は癒されたが、心の傷が癒される事は無いと、未来も痛い程わかっていた。
 また沈黙が落ちた、しばしの後。
「スティーヴは」
 ファルスディーンが口を開いた。
「何かと口うるさい奴だが、俺の事を本当に心配してくれる、数少ない相手だった。俺が無茶をしたら真っ先に止めるが、周囲の連中がとやかく言えば、迷わず俺の味方についてくれた」
 思わず顔を覗き込むと、ファルスディーンは、薄い笑いすら浮かべていた。
「俺の唯一の、理解者だった」
 その笑顔があまりにも痛々しくて、未来は、ファルスディーンを支えていた腕を、彼の首に回して、その顔が見えないように抱き締めた。
「泣いていいよ」
 相手が戸惑う気配がしたので、告げる。
「昔、私がもっと小さかった頃、家で犬を飼っていたの。家族皆で可愛がっていたんだけれど、病気で死んじゃって。家の裏庭に埋めてお墓を作った時、私と利久は、泣いたら、その子が哀しむと思って、ずっと我慢してた。そうしたら」
 ファルスディーンを抱く腕に、少しだけ力を込めて、未来は先を続ける。
「お父さんが、こうやって私達を抱き締めて、哀しい時には我慢せずに、哀しいと声に出して泣いた方がいいんだって、言ったの。それで私達は、わんわん泣いた」
「……同じだな。あいつも似たような事を言っていた」
 ファルスディーンが言った。
「母上が亡くなった時だ。未来の王になる者が、涙を見せるべきではないと、俺を嫌っている父上や、心を許せぬ臣下達の手前、尚更だと思って、我慢していた。だが、あいつだけは、泣いていいのだと、自分の前では、王子でなくて構わないと、言ってくれた」
 未来の背中に、ファルスディーンの手が回され、強く服をつかむ感触がする。
「だが、もう、あいつは居ない」
「私が居るよ」
 即座に、自然に、その言葉はこぼれていた。
「私が言ってあげる。私の前では、泣いていいよ」
 ほんの少しだけ間があった。しかしすぐに、くいしばった歯の間から洩らすような呻きがあったかと思うと、それは嗚咽に変わった。子供のように未来にすがりつき、ファルスディーンが、声をあげて泣く。いつか、利久の事で自分が泣いた時と、立場が逆だ。思い出し笑いをしようとして、未来は失敗した。その頬を、温かいものが伝う。
 他に誰も居ない墓地で、二人は抱き合ったまま、互いに涙が涸れるまで、はばかる事無く、慟哭した。

 葬儀から帰った未来は、一人、カーレオンの元を訪ねた。フォルカが襲撃された事も、ファルスディーンの側近中の側近が死んだ事も、耳に入っているだろうに、この王は、客室で優雅に茶なぞ飲んでいるのだ。怒りすら込み上げる。
「やあ、未来。ファルスディーンは大変だったね。我が国の戦巫女が酷く落ち込んでいた。私も哀しく思うよ」
 一体どこまで本気か。芙美香の代わりに問い詰めてやりたい衝動が込み上げたが、今は喧嘩を売りに来たのでは無い。さり気なく向かいの席を勧めるカーレオンに、未来は応じず、彼の傍に膝をついて、頭を下げた。
「カーレオン様、お願いが、有ります」
「どうしたんだい、いきなり? 私に出来る事ならば、遠慮無く言ってくれたまえ」
 カーレオンは相変わらず、上辺ばかりの笑顔を浮かべている。その顔が、次の瞬間怒りにすり変わっても構わない覚悟で、未来は言葉を継いだ。
「では」

 傷は未来の力で完治したが、大事をとって床についている叔父の元へ行き、見舞いの言葉と、スティーヴの葬儀がつつがなく終わった報告を述べたファルスディーンは、国王の寝室を退出して、廊下の向こうから駆けて来る者が居るのに気がついた。
「ファル」
 未来は両手で重たげに何かを抱えて、時折よたよたしつつ向かって来る。ファルスディーンの前まで来ると、
「これ」
 手にしていた物を、王太子に託した。腕の中に入った重みの正体を己の目で確かめて、ファルスディーンは驚きの声をあげる。
「グランシャリオ?」
 カーレオンに返したはずの、ネーデブルグの秘剣だった。
「カーレオン王に頼んで、借りて来たの。今度の決戦では、ファルが持っていた方が、絶対いいと思って」
「お前が、頼んだのか?」
「うん」
 未来が頷くと、ファルスディーンが、怪訝そうに見返して来る。
「……何の見返りも無しにか?」
「うん」
 未来は笑顔で応えた。
「そうか」
 ファルスディーンは、鞘に収められた剣の重みを再度確かめ、腰にたばさむ。
「俺の為に、ありがとう」
「ううん、いいよ、お礼なんて」
 笑みを交わし、
「じゃあ、明日ね」
 未来はファルスディーンに軽く手を振って、その場を立ち去った。しかし、廊下の角を曲がって、彼の姿が見えなくなった途端、抑えていた感情が、形になって零れ落ちる。
 未来はファルスディーンに嘘を吐いた。グランシャリオをファルスディーンに貸し与えてくれと言った途端、カーレオンはぴきりと引きつり、それから精一杯笑顔で誤魔化しつつ、視線を彷徨わせたのだ。
「いや、いくら未来の頼みでもな、この剣はネーデブルグの……」
「それはわかっています」
 未来は退かなかった。その剣があれば、ヒューリと相対した時の結果は、変わっていたかもしれない。スティーヴの命は、失われなかったかもしれない。そして、この先の戦況さえも、左右するだろうと。
 未来の強い視線に、カーレオンは、気圧されてすらいたのだが、不意に、改めて笑みを浮かべると、未来の手を取った。
「では、代わりに、私の願いもひとつ、聞いてもらって、良いかな?」
 ファルスディーンの力になれるのなら、どんな難題もこなしてみせよう。未来が力強く頷くと。
「では言おう」
 カーレオンは、未来の手に口づけて、宣う。
「この戦が勝利に終わった暁には、私は君を妻として迎えたいと思っている。勿論君が、異世界から来て、そちらに帰りたいと云う郷愁があるのもわかるが……考えておいてくれるね?」
 考えろと彼は言ったが、それはほぼ強制だった。未来が肯んじなければ、カーレオンは決して、グランシャリオを手放しはしないだろう。
 それは未来に、全てを諦めろと云う宣告だった。利久と共に元の世界に戻る事。家に帰って両親に再び会う事。今までの生活。数は少ないが確かに居た、大切な友人達。そして何より、この胸に生まれた、ファルスディーンへの想い。全てを、捨て去らなければならない。
 未来がカーレオンの后になれば、必然的に、邪魔者は居なくなる。サフィニアは心置き無くファルスディーンに嫁ぐだろう。ネーデブルグの、否、カーレオンの思いのままに、世界は動く。
 それでも未来は、その無茶苦茶な申し出を、首を縦に振って受けるしか無かった。ファルスディーンと分かたれるよりも、彼が命を落とす事の方が、ずっと哀しく、ずっと辛い。
 ファルスディーンに知られる訳にはいかない。彼には最後の最後まで黙って、笑顔で別れれば良いと、未来は既に腹をくくった。
 それでも、涙は後から後からとめどなく溢れて来て、未来は廊下の端に、倒れ込むようにくずおれると、膝を抱え、声を殺して泣いた。

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