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 やけに身体がふわふわと、浮いている感覚がした。
 自分は死んだのだろう、と、未来は思った。上も下も真っ白で、何も無い。きっと、天国に来てしまったのだろうと。しかし。
「未来!」
 真隣から聞こえて来た声と、しっかと腕をつかむ感覚が、未来を正気に戻した。
「居るな? これは夢じゃないな?」
 この白い世界に在って、はっきりと色彩を持つ、赤い髪と紫の瞳。ファルスディーンが、未来の金色の瞳を、まっすぐに見つめていた。
「どういう事かしらね、これ」
「俺達だけみたいだな、無事なのは」
 声に首を巡らせると、芙美香と利久も居た。しかし他に人物は見当たらない。自分達四人だけが、この白い世界に浮いている状態だ。
 否、居た。もう一人。
「容赦せい。この世界に降りて来た途端、拒空が本性を現して、そなたらの存在を守るだけで精一杯だったのじゃ、許せ」
 四人が視線を向けた先には、桃色の髪をした、幼い、どこかヒューリに似た雰囲気を持つ―しかし彼女のような残虐性は一切帯びておらず、神々しさすらあったのだが―少女が、腕を組んでそこに浮いていた。未来ら戦巫女は、それが誰か皆目見当がつかず、首を傾げるばかりだったのだが、ファルスディーンだけは、思い当たる者が居たらしい。咄嗟にかしこまる。
「女神、アリスタリア!」
 それで未来達も驚きに目を見開いてしまった。この少女が、自分達三人を選んだ、女神だと云うのか。にわかには信じ難かったが、しかし思い返せば、戦巫女の能力に目覚めた時に聞こえた声は、彼女のものと同じであった気もする。
「よい、今はそんな礼儀にこだわっている場合では無い」
 アリスタリアはファルスディーンに楽にするように合図し、未来達を見回した。
「戦巫女達よ、これまで辛い戦いを強いてすまなんだ。しかしそなたらにはこれから更に、過酷な決戦を求める事になる」
「拒空、ですか」
 未来が呟くと、女神は深く頷いた。
「どうして、あんた自身が戦わないんだ。いや、今までも、戦わなかったんだ」
 利久が苛立ちすら含めて問うと、アリスタリアは申し訳無さそうにうつむき、言葉を発した。
「戦った。だが、それにより、この世界は、100年、再生の時を必要とする程に、荒れ果ててしまったのだ」
 ファルスディーンが目をみはる。
「伝承は、真実だったのですか」
「わらわは、わらわより更に上位の神より、拒空が再びこの世界に現出するぎりぎりの瞬間まで、この世界の戦いにおいて力を振るう事を、禁じられた」
 女神は語った。拒空とは、彼女自身の、残虐性、凶暴性、破壊の性を切り離した、悪心の塊、いわば分身であったと。
 かつての拒空との争いの後、上位の神から、力による介入を封じられた彼女が、この世界の危機に出来たのは、自らが選び出した存在に、己の力の一部を、分け与える事だったと。しかし、この世界の人間を器とするには、彼らは耐えられなかった。その力を受け止めきれたのは、異世界の人間だったと。
「それが、戦巫女って訳ね」
 得心がいったとばかりに、芙美香が頷く。
「関係無い世界のおぬしらを巻き込んだのは、まことにすまなんだ。しかしわらわは、この世界をみすみす滅びに追いやりたくも、無かったのじゃ」
「別に怒ってるんじゃないよ。自分の世界を守れるなら、他の何にでもすがりたい気持ち、わからなくないもの。ねえ」
 いきなり話を振られ、利久が中途半端に何度も首を縦に振って、相槌を打つ。女神が、その肩書きに相応しくなくおずおずとこちらを見るので、未来は、力強く頷いた。
「やはり、おぬしらを選んで良かったぞ」
 女神は柔らかく笑み、それから、きっと口を引き結んで、上空を指し示した。
「拒空は本性を現した。奴の本質は、否定と消滅。最早この大陸の大半が、一瞬にして消し去られている」
 告げられた事実に未来達が表情を険しくすると、アリスタリアは先を続ける。
「戦巫女であるそなたらと、戦巫女の能力を封じたグランシャリオを帯びていた者だけは、わらわが存在を守る事が出来たが、それもいつまで保つかはわからぬ。それまでに」
 女神の、色の薄い瞳が、一人一人を見渡した。
「討ってくれるか、拒空を」
「倒します」未来は真っ先に応じた。
「任せときなよ、女神様」芙美香が笑う。
「ここまで来たんだ、もう、何だってやってやる」
「フォルティア王族、いえ、この世界に生きる者として、出来得る限りの務めを果たします」
 利久の後を、ファルスディーンが、決意に満ちた表情で請け負った。
 女神も頷き返し、告げる。
「わらわも、及ぶ限りの力を振るおう。そなたらを思いのままに飛ばす事と、拒空に消された世界の再生は、一手に引き受ける。そなたらは、全力を尽くして戦ってたもれ」
「全力を尽くして、ね」
 芙美香がぼやきながら、黒の長剣を手の中に呼び出した。
「軽く言ってくれるよ!」
 利久が両手に金の槍を握り締め、ファルスディーンがグランシャリオを構える。
 そして未来は、上空を仰いだ。そこに広がるは、ただ真っ白な、虚空。あらゆるものを否定し、消滅に追いやる、まさに全てを拒む空。
「消させない!」
 未来は決意を込めて言葉を発した。それを合図に、身体がふわりと動き出す感覚に包まれると、己の意のままに、未来は飛んだ。ファルスディーンや芙美香、利久も続いて、上空へ向けて飛翔する。
 それに気づいたとばかりに、拒空の迎撃が始まった。白い光の矢が降り注ぎ、真っ白な、しかし神聖さは微塵も感じさせない、翼持つ魔物が続々と生まれて襲い来る。
「防御して」
 未来の一声で、光線は壁に弾かれ、他の三人が魔物を斬り伏せた。白い世界に、白い粒子が舞い散る。
「火を!」
 強く命じると、銀色の炎が空に躍る。たちまち数を減らした魔物に、少しだけ気を緩めた未来目がけて、白い光線が降って来た。
「未来!」
 それが未来の身を貫く寸前、力強い手が、未来の手を取った。ファルスディーンはグランシャリオに念じ、二人は七色の光に包まれて、瞬間転移する。
「剣!」
 手を繋いだまま、未来は叫んでいた。刃が自動的に、倒すべき対象を追尾し、白い空の一角へ向けて突き刺さる。まるで空そのものが吼えているかのように、拒空の悲鳴が、大気を震わせた。
「未来、死なせないぞ」
 ファルスディーンが、繋いだ手に力を込める。
「お前を消させやしない。これで終わりにするんだ」
「うん」
 未来は頷き、ぎゅっと手を握り返した。
「私もファルを消させない。私が守る!」
 たちまち、銀の輝きが楯となって、拒空の放つ光の矢から彼らを守る。決して屈しない戦巫女達の力に、拒空は明らかに戸惑い、無闇に光線を、魔物を放った。
 一体一体は強くないが、数の多い魔物が行く手を塞ぐ。しかしそれを、金と黒が斬り裂いた。
「姉ちゃん、行け!」
「とどめは、任せるよ!」
 利久と芙美香が、立て続けに敵を屠る事で、道が開いた。未来とファルスディーンは、更なる高みへ飛翔する。
 白い空の中、拒空が咆哮して、まっすぐに突っ込んで来る気配がする。しかし二人は逃げなかった。ファルスディーンが、グランシャリオを構え直すと、
「拒空。私は」
 未来は紡いだ。それだけで意味を為す、力有る言葉を。
「全ての存在を否定する、あなたの存在を否定する!」
 全ての光線が止み、魔物が白い粒子と溶ける。確実に動きが止まった、拒空の本体であろう白い空の中心へ、ファルスディーンがグランシャリオを突き立てた。空が、絶叫に震える。
 最後の、とどめの言葉を、未来ははっきりと、周囲の顔色をうかがいながら生きて来た今までの人生では、発した事も無いくらい、大きな声で、宣告した。
「拒空、滅びなさい、永遠に!!」
 銀色の光が、真っ白だった空を埋め尽くす。断末魔が、聴覚を奪ったが、やがて、空にひびが入り、ぱりん、ぱりんと音を立てて、崩壊を始めた。
 崩れてゆく、拒空が。消滅する。
「すまなんだ。だが、永遠に眠れ、我が半身よ」
 アリスタリアが呟く。彼女の力で、拒空に消されたはずの地上が、人々が、元の姿を取り戻してゆく。世界が、色を取り戻し、瞬時に再生してゆく。それはアリスタリアの力だけで無く、拒空に、わずかに残されていた、創造の力も混じっていたからだと、後に女神は洩らした。そうでなければ、いくらアリスタリアでも、こんな短時間に、大陸を蘇らせる事は出来なかったと。
 復活した大地の上に、拒空の欠片は、雨としてぽつりぽつりと降り注ぐ。
 雨はやがて、穀雨の季節を外れた、雪となって、この世界を、淡く美しい白に、染めあげるのであった。

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