1:溶炎編(4)
BACKTOPNEXT

 エントコ山は火の山だ。昔は良質の温泉が涌く場所として「エントコええとこ一度はおいで」などと観光地化していたが、神聖な火山に商売っ気を持ち込んだ為にばちが当たったのか。『溶炎ようえん』が棲みつき片っ端から温泉宿を燃やして回った為、今では人の近づけない危険地帯になっている。
 そんな人間達の欲望の残骸を横目に見ながら、灰の積もるかつて整備されていた道に、大きい足跡と小さい足跡が刻まれてゆく。大剣を背に負った髭面のおっさんと、火山には不釣り合いなフリフリの黒いワンピースを着た薄桃色の髪の少女。傍から見たらあまりにも凸凹な二人である。
 少女リルと並び歩きながら、ライルはちらりと彼女を見やる。
 どこからどう見ても、竜に、ましてや悪名高き『溶炎』に挑むなど気がふれた言動であるとしか思えないほどに小さな娘だ。細っこい手足で武器も持たない。だが、酒場でライルをあっさりと投げ飛ばした謎の底力。この少女の中ではもしかしたら、ライルがいなくても『溶炎』に勝つ算段が生成されているのではないかとさえ思える。
「……なんじゃ、じろじろ見おってからに」
 いきなりリルの琥珀の瞳がぐるっとこちらを向いて、ライルは一瞬慌てた。気づかれていたのか。
「な、何でもねえさ」
 名うての狩竜士が、少女にたじろぎながら視線を逸らすなど、人々が見たら何事かと驚き、そして笑うだろう。しかし少女の眼力は、外見にそぐわない迫力を持ってライルを射抜き、落ち着かない気持ちにさせるには充分であった。
 いつまでも、竜ではなくこの少女におどおどしながら進まねばならないのかと思っていた道程は、しかし唐突に終わりを告げる。

 おお……おおおおん……。

 腹の底に響くような吼え声が二人の耳に届いたかと思うと、リルが表情を険しくして、低くささやいた。
「来るぞ」
 直後、地震かと勘違いしそうなほど激しい揺れが一帯に響き渡り、何か巨大なものが大地を踏み締める爆音が次第に近づいて来た。
 そして現れた音の主を見た時、ライルは思わずひっくり返った声を口から洩らしていた。
「でかっ!」
 そう、その音の主――竜は、そんじょそこらの竜とは一線を画した大きさだった。通常の竜は人間の五倍ほどの大きさだが、それさえ可愛らしく見えるほどに、今目の前に現れて、ごう、と吼えた竜は、倍率ドン、更に倍、と軽い口上が聞こえてきそうな規格破りの大きさだったのである。
 頭から尻尾までを覆う鱗も、背に生えた翼も、まるで返り血を浴びたかのように真っ赤だ。間違いなくこいつが『溶炎』なのだろう。
 久方ぶりのエントコ山への侵入者に、『溶炎』は明らかにご機嫌斜めだ。低く唸った後にぐわりと口を開いて、挨拶一発そのままさらば、とばかりにその奥から炎を吐き出した。
 あ、死ぬ。
 そんな予感がやけにのんびりとライルの脳裏に巡って、炎をかわす、という本能的な反射行動を取る事をすっかり忘れていた。
 しかし灼熱がライルを骨の髄まで焼き尽くす事は無かった。炎が触れる直前、唐突にライルの前に白いカーテンのような障壁が現れたかと思うと、ふわりと揺れ、その頼り無さが嘘のような強固さで、炎を四散させたのである。
「ぼやぼやするな馬鹿者! やはり貴様は足手まといか!?」
 突然の現象にぽかんと立ち尽くすライルの耳に、リルの罵倒が突き刺さった。何とか気を取り直してそちらを見やれば、少女は両手を突き出した状態で、こちらをぎんと睨みすえている。彼女の前にも白い衣があって、それが炎から小さな身を守っていた。
 これで少女が得物を一切携帯していない理由がわかった。彼女は武器を振るうのではなく、身に宿る精神力を利用して、摂理を超えた現象を起こす、術遣いなのだ。この白の障壁も、守りの術によるものだろう。
「炎はわらわが相殺してやる。貴様は狩竜士ならさっさと『溶炎』を弱らせろ」
 いとも簡単な事であるかとばかりに言われたものの、いつものように鼻面を駆け上がって眉間に武器を刺し込む、お得意の戦法は通じなさそうだ。ライルは髭面をしかめて数瞬考え込んだが、やはり伊達に名うての狩竜士ではない。意を決して大剣を鞘から引き抜くと、灰まみれの地面を蹴って飛び出した。
 動き出した人間に釣られて、『溶炎』が苛立たしげに唸りながら首を巡らせる。自身の巨体が枷になっているのか、動きが緩慢なのは不幸中の幸いだ。それを上回る速さでライルは『溶炎』の脇に回り、右腕に向けて大剣を薙いだ。
 かきん、と固い音を立てて鋼の刃が赤い鱗に弾かれる。だがそれは、あらかじめ想定していた結果だ。『溶炎』が、邪魔な人間を踏み潰そうと右腕を持ち上げる。それでこちらに向けてがら空きになった腹の下へ、ライルは滑り込んだ。
 これだけ大きいと、心臓がどこにあるかも、大剣の刃渡りでも届くかも定かではない。だが、肉を切ればそれなりのダメージを与えられるだろう。鱗に覆われていない白い胸に躊躇い無く武器を突き立て、ぐっと力を込めた。
「ふんぬううううっ!」
 ライルの腕の筋肉が盛り上がり、顔は必死の形相になる。柔らかいとはいえそれなりの強度を持つ胸から腹へ、大剣で切り裂く。容赦無く返り血がかかったが、今まで狩竜士をしてきて、そんなものは慣れっこだ。
「どっせい!」
 怯む事無く剣を振り抜けば、『溶炎』は悲鳴のような叫びをあげ、痛みで暴れ出した。どすん、どすんと太い手足が無茶苦茶に地面を叩き、踏み潰されないようにかわすので精一杯になる。何とか腹の下を抜け出した途端、どごん、という衝撃がライルを襲った。
『溶炎』が振り回していた尻尾が直撃したのだ、とわかったのは、視界に真っ赤な鱗に覆われたそれが見えたからだ。自分が吹っ飛ぶのがやけにゆっくりと感じられた数瞬後、ライルの身体は地面に叩きつけられごろごろと転がった。リルにぶん投げられた時の何十倍もの痛みが全身に広がり、鼻血がどぱどぱ出ているのを感じる。多分、骨の一本か二本も砕けただろう。
(……情けねえ)
 かすむ視界に暴れ回って無闇やたらに炎を吐く『溶炎』の姿を映しながら、ライルはぼんやり考える。
 最強の狩竜士とはやし立てられて、勝てない相手はもういない、といい気になって。調子をこいた結果が、このざまか。
 まあ、もういいか。そんな考えがぼんやりと浮かんだ。物心ついた時には家族はもういなくて、旅から旅の狩竜士の養父に連れられて各地を転々とし、七歳で剣を握って竜退治に駆り出された。その養父も十三の時に竜に踏み潰されてあっけなく逝き、その後は一人で生きてきた。
 未練を残す場所も相手も無い。もういいか。もう一度心で唱えて目を閉じた時。

「――さっさと立たぬか、愚か者! 最強の狩竜士がこの程度でおねんねしてどうするのだ!?」

 リルの罵声が耳をつんざいたかと思うと、全身を支配していた痛みを駆逐するように、温かな熱が広がってゆくのを感じた。それは血管の隅から隅、手足の指先までしみ渡り、ライルに再び立ち上がる活力を与えてくれる。
 閉じかけていた目を開いてみれば、うっすらと光り輝く天使の姿が視界に入った。
 ――いや、天使ではない。
 光に包まれ、白い翼を背に生やして、ライルの傍らに膝をつき両手をかざしている、黒服の少女。リルだ。彼女の手から零れる光がライルの身体に吸い込まれ、またたく間に傷を癒してゆく。
 ライルは最早言葉を失うしか無かった。狩竜士なら知っている。瞬時にして生命力を回復させる術を使えるのは、人間にはいない。それは人を超えた域の業だ。つまりそれを使うのは。
「竜……!?」
 愕然と呟けば、リルは愛らしい顔に似つかわしくない、年数を重ねた狡猾な老婆のようなにやりとした笑みを浮かべてみせた。
「ほれ、行け。最強の狩竜士よ。わらわの力を乗せてゆけ」
 身の内に力が満ちているのがわかる。いまだかつて無いほどに活力が溢れている。起き上がれば、身体は意志を超えて軽く跳ねた。
 たん、と地を蹴るだけで、『溶炎』の鼻先を踏みつけて駆け上がる。竜が鬱陶しげに顔を振っても、足はぴたりと吸い付くようにしっかりと鱗を踏み締めて、振り落される事は無い。
 いける。この身体なら、やれる。
 ライルはにたりと笑うと、大剣を持ち上げる。鋼鉄の相棒は今までに無く軽々と持ち上がり、そうして『溶炎』の眉間に吸い込まれる。
 一際大きな咆哮がエントコ山に響き渡り、『溶炎』が宙を仰ぐ。が、それも束の間、急所を突かれた竜は不意に動きを止め、ずううん、と大きな音を立てて、地面に倒れ伏すのだった。
「ようやった、ようやった」
 ぱちぱちぱち、と拍手が聞こえたので振り向く。いつの間に『溶炎』の頭を登って来たのか、リルが満足げに笑っている。その背にはやはり見間違いようも無い、白い一対の翼があった。
「わらわ一人では、なかなかこれを取り戻せなんでな」
 少女はあっけらかんと言い放ったかと思うと、ライルが引き裂いた『溶炎』の眉間の傷口に、躊躇い無く腕を突っ込み、何かを探る。やがて血濡れの手も気にせずに引き抜いたのは、真っ赤に輝く拳大の石だった。
 懐かしい友に再会したかのように幸せそうに微笑み、リルは石を胸に当てる。たちまち石が更なる光を放って少女に吸い込まれたかと思うと、しゅるりと、白い鱗に覆われた尻尾がスカートの下から生えてきた。ライルはもう驚きのあまり、言葉を失うしか無い。
 白い竜。それは伝説に残る限りただ一体しかいない。かつて神がこの大陸を創造した時に彼を乗せて空を駆け、その能力を分かち合った唯一の存在。
「『真白まつくも』?」
「その名を奪われて幾星霜が過ぎたか」
 真名を呼ばれて、リルはにっこりと笑み返す。それが答えだ。
「わらわはかつて悪しき輩に力を奪われての。その力は先程のような要石となって幾匹もの竜と化し大陸中に散った。力を取り戻すには竜を倒さねばならぬが、倒す為の力も足りぬ。だから強い狩竜士を捜しておったのだよ」
 神の竜に見込まれた。それは光栄な事なのかもしれない。だがライルの脳内では、今リルが放った言葉が、不吉な予感となってぐるぐる巡っていた。
「ちょっと待て」手を掲げて疑問を放る。「幾匹もの竜?」
 まさかの思いが襲いかかって来る。その予感を確かなものにするかのように、「おお」とリルは手を叩いた。
「『水蓮すいれん』、『時風ときかぜ』、『禍土あまつち』、『闇樹あんじゅ』。わらわの力の片鱗を持つ竜はまだまだおるぞ。奴らに立ち向かう為に、ライル、狩竜士の貴様の力を存分に借りるぞえ」
 ぐらり、と。目に見えてライルの身体がよろめいた。どいつもこいつも伝説級の、危険極まりない竜の名前ではないか。
「ああ、安心しろ」
 ライルの動揺を置き去りにして、少女の姿をした竜は嫣然と微笑む。
「奴らを倒し、こうして力の欠片を取り戻すほどにわらわの力も強くなってゆく。先程のようにわらわの力を一時期的に貴様に貸し与えて、人並み以上の馬力を出せるようにしてやるわ」
 ただし、と、指を一本立てて、リルは白い歯を見せる。
「反動で、次の日には指一本動かせない地獄の筋肉痛が訪れるがの。まあ、わらわの力を得られるのだ。安い代償だろうて?」
 ライルの顔が完全に引きつった。その筋肉痛が明日やって来るのか。いやそれだけではない。今後もこの少女に付き合わされて、凶暴な伝説竜達との戦いが待っているというのか。
「……嫌か?」
 あからさまに顔をしかめると、リルがしゅんと落ち込んで、上目遣いに見上げて来る。
「わらわが力を取り戻せねば、竜はやがてこの大陸の人間を駆逐してしまうだろう。それはこの大陸を作った神の望む所でもないのだが……」
 すっかりしょぼくれた少女を前にして、いい歳こいたおっさんが大人気無い、という気になってしまったのは、ライルの一生の不覚だったかもしれない。
「ああ、もう」
 ぐしゃぐしゃと縮れ毛の髪をかき回して、狩竜士はぶんぶん頭を振り、大声で宣言した。
「わかったわかった! もうしばらくお前に付き合ってやるから、お前は早く力を取り戻して人間を救え!」
 途端。
「言ったな」
 にやっ、とリルが唇を三日月形に象った。
「契約成立だ。貴様はわらわ『真白』の相方として、竜退治にいそしむのだぞ。それと、わらわの真の姿を見た事は誰にも言うなよ。言えば……」
 そこで少女は言葉を切り、ぎらりと口元から剣呑な牙をのぞかせる。
 間違ったかもしれない。ライルは後悔したが、時既に遅し。
 勝てない相手はもういないと思っていたのに、絶対に勝てない相手に引きずり込まれてしまった。降って湧いたとんだ災厄に、狩竜士――いや、狩竜奴かりゅうどはがっくり肩を落として、諦めの吐息をつくしか無いのだった。