2:水蓮編(3)
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『大した事はできねえが』と村人は言ったが、水に困窮している割には、思ったより豪勢な食事が出て、リルも満足したようだった。とはいえ、「まだ足りぬ」と次から次へと追加注文をして、村食堂の店主が食料庫を気にして涙目になっていたのを、ライルはしっかり見ていたが。
 リルが大食らいなのはわかりきっていた事なので、ライル自身はひっそりと、鹿肉ステーキとライ麦パン、そして良く熟成したワインを一杯、いただいた。
 そしてほどよく酔いが回った所で、村長だという老人が出て来て、ぺこぺこと頭を下げながら、「どうかよろしゅうお頼み申します」と革袋を差し出した。中身を確かめなくても、それが前金だという事はわかる。
 村に着く前にライルが名乗った時、男達の目の色は明らかに変わった。最強クラスの狩竜士の名は、オルシナ近辺まで届いていたらしい。ライルならきっと、現状を打破する何かをやってくれる。そんな期待に満ち溢れた眼差しで、きらめく宝石が目の前にあるかのようにこちらを見つめたものだ。
『是非、オルッシー様の機嫌を直してくだせえ』
 そう村を送り出されたものの、彼らには悪いが、ライル達はそのオルッシー様、もとい『水蓮すいれん』を倒しに来たのだ。機嫌を直すというのは難しいかもしれない。
 だがリルが、
『「水蓮」を倒しさえすれば、わらわが力を取り戻して、この一帯の水流を正しくする事は可能じゃろうて』
 と事も無げに言い放った。
『だから貴様はこの間「溶炎ようえん」と戦った時のように、竜を倒す事だけ考えておれ。力添えはしてやるからの』
 その『力添え』が何なのか、ライルはもう重々把握している。文字通りの言葉なのだ。リルの竜としての力をライルに分け与えて、狩竜士でも出せないほどの馬力を得る。翌日の地獄の筋肉痛を代償に。
 またあのとんでもない全身の痛みを味わうのかとげんなりするが、リルに見込まれて狩竜士ならぬ狩竜奴になってしまった以上、避けては通れない道だ。それに、リルが『真白まつくも』としての力を取り戻せなければ、いつか竜はこの大陸の人間を駆逐してしまうだろうとも彼女は言った。その終焉が、五年後か、十年後か、百年後か、あるいは明日にでも訪れるのか。それはわからない。千年近くを生きる神の竜にとって、数年の差は一日二日程度の差と変わらないだろうから。
 とにかく、大陸の命運は人知れずライルの両肩にずっしりとのしかかっているのだ。やってられるかと放り出して逃げる訳にもいくまい。
 オルッシーもとい『水蓮』に気づかれて先制攻撃を食らわないように、今日は馬車ではなく徒歩でオルシナ湖近くまでやって来た。湖の周辺はさすがに、草はしゃんと背を張り、ミズバショウが花をほころばせている。たしかに、観光で来るだけならば心和む光景だろう。
 そちらに目を奪われていた為に、ライルはうっかり――本当に迂闊にも――、狩竜士としての本分を忘れかけてしまった。辺りに気を走らせる事を失念した。
 周囲を見回しながら踏み出した一歩が、びん、と、地面に張られていた縄を踏むと同時、砂を落としつつ足元から持ち上がって来た網が、あっと言う間にライルを包み込み、宙ぶらりんにつるしてしまったのである。
「なっ、なんだあああああああ!?」
「おお、まるで伝説の珍獣ゴリラがおるようだぞ」
 網目に指をかけ顔を押しつけて絶叫するライルとは対照的に、リルはあきれきった様子でこちらを見上げている。
「さっきから、そこいら中にこういう原始的な罠が仕掛けてあったぞ。貴様、気づいてかわしておるのかと思ったわ」
 言われてぐるりと周囲を見渡してみれば、目に入って来るだけでも、近くに落とし穴を作ったらしき不自然な土の盛り上がりがあり、そこの木には、恐らく足を引っかけたら鉄球か何かが飛んで来るだろう仕掛けが施されている。狩竜士の無意識の警戒心で、避けて通っていたようだ。それをほんの少し気を抜いただけで、見事に引っかかったらしい。
「まあ、彼奴きゃつら、わらわよりお前を恐れているようだったがの」
 リルが周囲へじとりと一瞥をくれると、そこかしこの木陰から、昨日の村人達よりは少しばかり質の良い武装をした男達が現れた。剣はそれなりに研がれた鉄製で、革の胸当てをし、兜も鍋ではなく金属の帽子をかぶっている。
「もしかしなくても」
 その内の一人が、剣を構えたままにじりよりながら、ライルを詰問して来る。
「対岸の村の連中に頼まれて、オルッシー様を横取りに来ただか?」
「「横取り?」」
 ライルとリルは、期せずして声を揃えて、同じように眉をひそめた。
「オルッシー様をふんづかまえて、自分達の村に連れて行こうとしてるだ」
 ますます混迷が深まる。『水蓮』は名前の通り水を司る竜だ。オルシナ湖から離れられない。あの村の人々は、『水蓮』を自分達の管理下に置こうとしていたと言うのだろうか。
「彼奴を水場から離せば、あっと言う間に干からびて蒸発してしまうじゃろう。オルッシー様様どころではないぞ」
 リルはそう言って、わらわの力の欠片も回収できぬ、と、ライルにしか聴こえない声量で付け足した。
「と、とにかく!」
 男の一人が目に見えてぷるぷる震えながら、ライルに向けて剣を突きつける。
「見たとこ狩竜士のようだけんど、これ以上邪魔されたらたまらんべ! オルッシー様を取られたら、うちの町の水源は干上がっちまう!」
 それを聞いて、またも同時にライルとリルは怪訝な表情をした。村人達の話では、対岸のこの村の連中が水源を根こそぎ奪ったとの事だった。だがこちらの人間達の話を聞けば、まるで向こうが水源を独り占めしようとしているかのような口振りではないか。
「……ははあーん」
 顎に手を当てしばし考え込んでいたリルが、先程ライルに向けたのとはまた別種のあきれを瞳に宿して、ぽつりと呟いた。
「要は対岸同士での水源の奪い合いか。『水蓮』は人間どもの悪意に影響されて、双方への水の供給を止めた訳だ。それをどっちがけしかけただの祟りだのと、人間どもが勝手に騒いでいた訳じゃの」
 図星だったらしい。リルがぎんと睨むと、男達が一様に青ざめて「そ、それは」と口ごもり、武器を下げる。根は素朴な人々は、こんな少女がこれだけの強烈な眼力を見せるとは思っていなかったのだろう。たちまち怯んで黙り込んでしまった。
「まあ、タネがわかれば後は簡単じゃ」
 リルが腕組みし、唇がにやっと三日月型を描いて、自信満々に言い放つ。
「オルッシーも水源の事も、わらわ達が何とかしてやる。貴様らは大人しく待っておれ」
「待っておれの前に、俺を何とかしろ!」
 捕獲網の中のライルが、まさしくゴリラさながらに、網目をつかんで吼えた。