3:時風編(1)
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 馬車は青々とした並木道を進んでいた。きらきら木漏れ日が差し込んで、適度に身を温めてくれる。
「桜の季節は終わっちまったか」
 ぐるっと首を巡らせ、すっかり葉桜になった周囲の木々を見渡しながら、ライルはぽつりと呟く。それに呼応するように、幌の中にいたリルがひょいっと顔を出して、興味津々といった様子でこちらの視線をなぞった。
「桜は話にしか聞いた事が無いの。大層あでやかな花をつけるそうではないか」
「何だお前、数百年も生きて来て、桜を見た事が無いのかよ」
 意外だ、という色を声に込めてライルが振り返ると、琥珀の瞳が不機嫌に曇ってじろりと睨み返して来た。
「何じゃい、わらわにだって見知らぬ物はあるわい。大陸の東側にはあまり来た事がのうて、桜の季節を逃しておるのだよ」
 そう、今ライル達は大陸東部に向かう途上であった。目指す次の竜は『時風ときかぜ』。ハカルクの森に棲まうかの竜は、時折近くの山へ舞い上がり、そこから暴風雨を吹き降ろして、近隣集落の畑に大きな被害をもたらすという。
 ハカルクの森は近年、周辺国が領土拡充の為に木々を伐採して土地を拓いていると聞いた。やはり『時風』は、人間の身勝手に憤って報いをもたらしたのだろうか。
 そんな事をぼんやりと考えていると、ずどどど……と耳に慣れた轟音と、低い吼え声までもが聞こえて来る。ライルは即座に馬車を止め、御者台から飛び降りると、背の大剣を引き抜きながら音の方へと駆けて行った。
 果たして現場にたどり着いた時、ライルの想像通りの存在がそこにいた。蒼い鱗の竜。とはいえ、今まで『溶炎ようえん』や『水蓮すいれん』と対峙して来たライルにとっては、安堵さえ覚える小ささだ。小さいとはいえ、人並みの狩竜士からしたら、充分難敵と言える図体ではあるが。
 しかしライルの視線は、次の瞬間、竜から少し逸れた。竜と向かい合って剣を構える者に気づいたのである。
 十六、七と見える少年だった。肩までの黒髪に宵闇のような瞳は、生粋の東国人である事を示している。前で襟を合わせる東国仕様の着物の上に軽鎧をまとい、刀と呼ばれる片刃剣を両手で握り締めて竜を睨みつけている姿は勇ましいが、いかんせん身長がやや低い。通常の成人男子の五倍はある竜の巨体に比べたら、迫力負けしているのは一目瞭然であった。
 無謀に過ぎる。ライルはそう思ったが、ここでこの少年を見捨ててみすみす竜のご飯にしてしまう事は、ベテラン狩竜士かりゅうどの沽券に関わる。寝覚めも悪い。ひとつ溜息をつくと、ざっと地を蹴って少年と竜の間に割って入った。
「お前さん一人の手に負える相手じゃねえだろ。下がってろ」
 突然現れた新手に、少年は少なからず驚いたようだった。睫毛の長い黒の瞳を真ん丸く見開く。それを後目に、ライルはだん、と足を踏み出し、軽々と跳躍した。このところ『真白まつくも』の欠片を持つ規格外の相手ばかりして来て、文字通り人間の限界を超える経験をしたライルである。この程度の竜なら、リルの助けを借りるまでも無い。
 轟、と吼えて大口を開ける竜の鼻先に大剣の刃を叩き込む。獲物をくわえこむつもりが予想外の反撃を受けて、竜は痛みに悲鳴をあげながら無闇やたらに顔を振り回した。刺さった大剣を握り締めたままのライルの身体が左右に振り回される。
「危ない!」
 少年が叫ぶのが聞こえたが、この程度、ピンチの内にも入らない。振り子のように身が揺れるのを逆に反動にして、竜の鼻面を蹴り、更にひとっ飛び。がら空きの眉間目指して剣を降り下ろし、深々と突き立てた。
 辺り一帯に咆哮が響き渡る。竜はしばらくだらしなく口を開いて宙を仰いだが、やがて唐突に事切れて、ずしいいんと重たい音を立てて地面に倒れ伏した。
 肉は長くはもたないが、鱗や牙を戦利品としていくらかひっぺがして次の集落へ持って行けば、それなりの路銀に変えられるだろう。思わぬ臨時収入にライルがほくそ笑んでいると。
「助太刀、感謝する。まことにかたじけない」
 男にしては少し高い声の、東国の言葉遣いで話しかけられて、ライルは振り返る。いつの間にか少年がこちらの背後まで歩み寄って来ていて、流れるような所作で頭を下げた。背筋を曲げる事の無い見事な七十五度で、黒髪がさらりと頬にかかる様は、色気すら感じる。
「お、おう」
 何故か心臓がばっくんばっくん騒ぎ出して、どもりながらライルは返す。落ち着け相手は男だ。しかもあどけない子供だ。自分には少年趣味ショタコンも男色の気も一切無い。天下の狩竜士が、こんないたいけな少年の一挙動に挙動不審になっているなどと知られたら、一体どんなおかしな噂が立つかわかったものではない。いや、面白半分でその噂を積極的に広める輩がいるだろう。それこそ、自分の背後に。
「なんじゃライル貴様、子供相手にしどろもどろになってからに。好みのタイプか?」
 鈴のような笑い声を転がしてライルをからかうのは、リルだった。ライルと少年を見比べて、顔がにやにやするのを抑えもしない。彼女は己の興味を満たす為なら、自分の狩竜奴かりゅうどがしでかした事を、何十倍もの尾鰭背鰭をつけて楽しげにふれて回るだろう。じとりと見返すと。
「……ライル?」
 少年が唖然とした声色でぽつりと呟くのが耳に届いて、ライルは再度少年の方を向く羽目になった。
「もしやそなたが、伝説の狩竜士『敵無しのライル』殿か?」
 少年は黒の瞳に驚きと、確実に敬意を込めて、ライルをじっと見つめている。
「まだ生きてるから伝説かはわからねえが、狩竜士のライルは、俺が知る限り俺自身しかいねえわな」
 それを聞いた途端、少年の瞳が更に真ん丸く見開かれ、次の瞬間には、相手は一気に距離を詰めてライルの手をがっしりと両手でつかんでいた。
「ここで伝説の狩竜士殿にお会い出来るとは、神の采配、僥倖に過ぎる!」
 崇敬に満ちたきらっきらの瞳でライルを見上げ、少年は一気にまくし立てる。
「どうか是非、そなたの力をお借りしたい! 我が国を救う為、そのお力を貸してはくださらぬか!?」
 何だか急に話が大きくなって、ライルの思考は脳味噌を飛び出した。少年の言葉が、身体の左斜め上辺りでぐるぐる巡っている。狩竜士としてポカをかます事無く銭を稼いで生きていられれば存分な人生だったのに、リルに巻き込まれ問答無用で狩竜奴になって、今度は初対面の少年に、救国の英雄になれと言われた。混乱の渦に陥ってしまう。
「穏やかな話ではなさそうだの」
 頭の許容量を超えて、手を握り締められたまま硬直してしまうライルの代わりに、リルが腕組みして小さく唸る。少年は、出会う人々がほぼそうするのと同じように、こんな幼女が老婆のような語り口をするのを怪訝そうに見つめたが、すぐに気を取り直すと、ライルの手を握ったままリルに向き直った。
「我が国も、竜によって危機に陥っている。だが、最強の狩竜士ライル殿のお力を借りられるならば、百人力だ」
 少年の瞳は期待に輝いている。イエス以外の答えは絶対に返って来ないと確信しているようだ。ライルは、リルと出会ってから何度目か最早わからなくなった溜息をつき、少年をじっと見下ろした。
「悪いが、俺達も用事のある旅の途中だ。急に国を救いに来いとか言われても、すぐに行くとは言えねえな」
 途端に、黒の瞳がはっと見開かれ、風船が空気を失ってしぼんでゆくかのように、失意の霧が広まってゆく。
「まあ待てよ。最後まで話を聞け」
 あまりに予想通りの反応だったので、噴き出したいのを我慢しながら、ライルは握られっぱなしだった少年の手をほどき、待て、と掌を見せた。
「行かないとは言ってねえ。俺達はハカルクの森に向かってる。その用事が済んだら、考えてやらなくもない」
 たちまち少年の顔に再び希望が満ち溢れてゆく。
「かたじけない!」
 もう一度、見事な角度で深々と頭を下げてから、少年は熱のこもった瞳でライルをじっと見つめた。
「では、そなたらの用事が済むまで、同道させていただきたい。足手まといにはならぬ故、どうか傍にいさせて欲しい」
 一瞬、ライルは返答に困って口をつぐんだ。竜と向き合う胆力を持つくらいだから、剣の腕にそこそこの自信はあるのだろう。だが、『真白』級の伝説竜を相手に立ち回れるのは、リルの力を借りたライルだけだ。この少年を危険にさらすかも知れない。
 もうひとつは、リルの正体だ。『時風』を前にすれば、彼女の素性は露呈するだろう。真の姿を人に言うなと脅しをかけられている以上、無闇に同行者を増やすべきではない。
 ところが。
「わらわは道連れが増えても構わぬぞ。楽しそうだしな」
 そのリル本人が、偉そうに腕組みしてふんぞり返りながら、あっけらかんと言ってのけた。塩の塊を口に含んでしまったような表情でリルを振り返るライルとは裏腹に、少年は歓喜に満ちた表情で、「恐れ入る!」と三度深々とお辞儀をした。
「それにしても」
 リルを見やり、少年はくすりと微笑んで、次の瞬間、爆弾発言を投下した。いわく。
「狩竜士ライル殿は子連れ狼になったと風の噂に聞いたが、あながち噂止まりではなかったのだな」
 ライルの思考が再び急停止して、今度は身体の右斜め上へ飛び出す。
 子連れ狼、という事は、リルが子で、ライルが連れ狼か。つまり二人が連れ合うのを見た誰かが、リルをライルの娘だと思って、ライルは男やもめになったと噂を流したのだろうか。
 ライルとて、年齢は年齢だし、無精髭を剃り髪を整えれば、今も充分いい男として通用する顔を持っている。二十代の頃はそれを利用して女の子とよろしくしたりもした。
 それをしなくなったのは、竜退治で町へ行く度に、町長が「ほんの気持ちです」と若い娘を寄越して、更なる便宜を図るようにと目論んで来たり、見知らぬ女に「あなたの子よ!」と心当たりの無い赤ん坊を押しつけられそうになった事が頻発したからで、それ以降、顔を売りにする事を止め、腕一本で生きてきたのだ。
 だのに今、実に不名誉な噂が広まっている。何も無い宙に手を伸ばし、そこにありそうな思考を無理矢理頭に戻す、という、傍から見たら意味不明な動作をした後、「あのな」とライルはあきれ顔で少年を見下ろした。
「こいつはたまたま行き合って、互いの利害が一致した結果、行動を共にしているだけの相手だ。俺の子じゃねえよ」
「そうなのか? これは失礼した」
 少年はぱちくりと瞬きをして、またも綺麗に頭を下げる。東国の人間と会話をするのは初めてではないが、ここまでかっちりと東国礼儀で喋る人間は初めてである。それなりの教育を受けた人間であるに違い無い。それほどのやんごとなき少年が一人旅をしているというのも、妙な話ではあるが。  だがひとまず、疑問は置いておく事に決めたライルは、馬車へ戻ろうと踵を返しかけ、ふっと気づいて少年に向き直る。
「自己紹介がまだだったな。俺の名は改めて言うまでもないな。こいつの事は、リルと呼べ」
 そう言いながら、己と少女を指差し、「こいつとは何じゃい」とリルがぶうたれるのを後目に、「お前は?」と少年に問いかける。
 少年はきりっと直立すると、やはり七十五度でしっかりと頭を下げる。
「私は凪音なぎねと申す。どうかお見知り置きを」
 凪と音。矛盾した言葉を組み合わせつつも、不思議な響きを持つ名前だ。しかし、男に使うような名前ではないだろう。
「何だ、お前」
 ライルは少年の元へ近づき、剣だこだらけの大きい武骨な掌でぽんぽんと相手の頭を叩く。
「女みたいな名前の上に、『私』だなんて。『俺』とか『自分』とか言ってみろよ」
 途端に凪音の頬がぽっと赤く染まり、
「い、いや、その、私は」
 と、こちらから視線を外しながら、しどもど口ごもる。
「まあ、よいではないか」
 リルがけらけら笑いながらひらひらと手を振った。
「旅は道連れ、世は情け、じゃ。仲良くやろうではないか。のう、ナギネ?」
 自分の半分くらいの年齢にしか見えない幼女が尊大な態度で場を仕切る事に、凪音はやはりこれまで出会って来た人々のように不思議顔で小首を傾げたが、探りは無駄だと思ったのか、それとも戦士の勘で、深入りしてはいけないという危機感を覚えたのか。それ以上を問い詰める事も無く、
「よろしくお頼み申す、ライル殿、リル殿」
 と四度目か五度目か、もう数えきれない回数のお辞儀を、やはりきっちりかっちり丁寧にするのであった。