4:禍土編(1)
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 ぱお〜、べんべんべべん、と。
 どこからともなく尺八と三味線の音が聴こえて来る。
 大陸の西側の人間達には『東の国』としてだけ認識されている、天津地国あまつちのくには、かつて海の向こうにあった島国の人々が渡って来て創り上げた為、大陸の他の地域とは異なる風土を持っていた。
 凪音を見ていて何となく把握はしていたが、服装は、シャツにズボンやスカートではなく、ドレスも着ない。襟を前で合わせる着物を帯で留めた、慣れない人間にはいささか動きづらいのではないかとも思える格好。靴はブーツではなく、足袋という靴下代わりのものを履いて、草履や下駄といった、足を見せるいささか頼り無い履物。話し言葉も耳慣れない言い回しが多く、かたっ苦しくすら響く。
 そして、街並み。白壁や煉瓦で組まれる事の多い西方の建築法とは明らかに違い、木造で編まれ、瓦という、叩けば割れる硬く重い板で屋根を葺いていた。
 あまりの文化の違い。西方にいる内は凪音が異質に見えていたが、ここに立っている今は、ライルとリルの方が見事に異邦人である。ふたりともポカンと口を開けたまま、行き交う人々を眺め、奏でられる音楽を右耳から左耳へと流している。
「ようこそ、ライル殿、リル殿」
 久方ぶりの帰郷に少しばかり昂揚しているのか、凪音が満面の笑顔で振り返り、両腕を広げてくるりと回った。
「我が祖国、天津地へ」
 凪音に対して、リルの素性とライルとの関係性については、ここまでの道すがら語った。凪音は理解力があり、かつ、非常に素直な少女だった。普通、聞いたらそう簡単に信じないだろう『真白まつくも』の正体と五体の竜に宿る力の存在を、与太話と切り捨てる事もせずに、丁寧に相槌を打って受け取ったのだ。
『ライル殿の凡人離れした能力は、しかとこの目で見た。私自身が竜の力でそなたらに迷惑をかけたのだ。信じない訳にはゆくまい』
 それに、と淡く笑んで彼女は続けた。
『それだけ危険な力を持つ竜の退治を頼むのだから、まず、私がそなたらを信じなくてはいけないからな』
 そう言ってみせた凪音だが、天津地へ着くまでに、どんな竜を倒せば良いのかは教えてくれなかった。『国に着いたら全てお話しする』の一点張りで、ライル達の秘密は知ったのに、彼女の事情を話す事はしなかった。
 狩竜士かりゅうどの選択としては、依頼者が詳細を語らない仕事を受けないのは、自分自身を守る為の原則である。裏がありそうな話に関われば、ろくな目に遭わない。人助けをするはずが悪事の片棒を担いでいた、などという展開は、残念ながらこの大陸にはごまんとある。
 幸いライルはそういう事件に対しての嗅覚が鋭く、面倒事になりそうな依頼は避けて、自分の名声を確実に上げる仕事を選んでこなして来たのだが、今回に関しては訳が違った。
 ライルは今、リルの狩竜奴かりゅうどだ。人知れず世界を救う戦いの真っ只中である。一文の得にもならないかもしれないし、厄介事にも巻き込まれる。実際、金にならない事もして来たし、人間のエゴも目の当たりにした。
 だが、ライルが戦って『真白』の力を取り戻さねば、竜によって人間が駆逐されてしまう、と、『真白』張本人であるリルから脅し、もとい警告を受けた。どんなに理不尽な思いをしても、人類が滅びる光景はさすがに見たくない。
 そして、凪音の話も気になっていた。
『天津地』
『真白』の力を持つ竜の一体である『禍土あまつち』と同じ響きを持つ国の人間と出会った事は、何か意味を持つのではないだろうか。
『脳筋のくせに、妙な勘は働くの』
 リルはそう茶化しつつも、ふっと真顔になり、『わらわも同じ考えだが』とぽつり、呟いた。
 そして今ふたりは、どこか浮き立った足取りの凪音の後ろについて、天津地首都『天部あまのべ』の大通りを歩いている。道の両脇には露店が並び、硝子玉や絡繰人形、綺麗な柄の織物や魔除けの鈴などを売っているが、凪音は大声で呼び込みをする店主達を振り返る事もせず、迷い無く天部の奥を目指してゆく。
「……おい」
 そのあまりの躊躇いの無い歩みに、嫌な予感がしてきて、ライルはリルに耳打ちした。
「このまま行くと、城じゃねえのか」
 天部の最奥には、立派な屋敷がそびえ立っている。凪音の向かっている先は、十中八九、いや十中十、そこだ。
 そこには当然、天津地国の一番偉い人、すなわち王様が住んでいるだろう。
 何故、そんな所へ向かうのか。まさか、西方の優秀な戦士を連れて来ては消して、天津地が西方へ攻め込む布石を打とうとしている訳ではあるまい。いやいや、凪音に限ってそんな事は。
 嫌な考えをしてしまって、寒くもないのにぞくりと身を震わせるライルを、リルが呆れ切った半眼で見上げて、「どあほ」と率直な罵倒を浴びせかけて来た。
「ことここに至ってまだわからんのか。貴様の勘を褒めたわらわが愚かだったわ」
 リルの嫌味の意味がわからず眉間に皺を寄せながら歩く間に、三人はとうとう屋敷の入口まで辿り着く。近くで見ると更に圧倒される大きさを、大口開けて見上げていると。
「――凪音様!」
 入口で槍を携えて直立不動になっていた兵が、こちらを見るなり驚きの声をあげた。
「凪音、様?」
「ああもうこやつほんとぽんこつ。筋肉馬鹿」
 この期に至っても首を傾げるライルの隣でリルがぶつぶつ洩らし、名を呼ばれた当の凪音は、それまで顔に浮かべていた薄い笑みをふっと消し、真剣そのものの表情になって口を開いた。
「ただいま帰った」
「本当に、本当に、お待ち申しておりました! お父上の轟也ごうや様も、それはそれはご心配なさっておりましたぞ!」
 ふと。
 ライルの思考がひとつの言葉に引っかかって止まった。
 西方でも、東国の人間の中で、一人だけすさまじく有名な者がいる。
 たしかそれは、元首の。
「ゴウヤ・アマノベ?」
 思い出し、そして、咀嚼する。
 轟也が「お父上」という事は、では、凪音は。

「おおおおおお姫様ーーーーーーっ!?」

 青空を突き抜けた太い叫びに、屋根に留まっていた鳩の群れが一斉に慌てて飛び立つ。凪音は振り返って決まり悪そうに微笑み、リルは両耳を手でおさえて「うるさい」と文句を垂れるのだった。