6 鏡の巫女ミル・ラ(2)

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「ねえ、デュー」
 大人達が憮然とした表情で立ち去った後。デュルケンとパルテナはベッドに並んで腰掛けていたのだが、不意にパルテナが口を開いた。
「なんで、ケヴィンと握手しなかったの?」
 デュルケンは騎士の手を握らなかった己の右手を見つめ、ぽつりと洩らす。
「……わからない」
 手を取るだけなら簡単にできたはずだ。協力を約束し、彼らの力を借りて父王を倒せばいい。彼らもこちらをミナ・トリア解放の象徴として利用しようとしているのだから、お互い様だ。
 だが、それだけで良いのだろうか、という思いがデュルケンの心に浮かんでいた。
 想像がつかないのだ。自分が王となる様が。人の上に立つ様が。
 カシダは帝王学など教えてくれなかった。無理も無い、彼は他大陸の平民なのだから。だが、問題はそんな事ではない。
 自分がしようとしている事は、復讐だ。自分を捨て、カシダの命を奪って、今も尚愚かさを撒き散らしている父に、胸にたぎる怒りをぶつけるだけ。いわば私情の爆発だ。
 そんな人間に、名ばかりとはいえこの国の救い主として立つ資格などあるのだろうか。父を弑した後に、風詠士の直系だからと王座を継ぐ事ができるのだろうか。
 何故、こんな思考をするようになったのだろう。考えて、ふと傍らの少女を見下ろす。見つめられている事に気づいたパルテナは、なに?と問いたげに微笑み返してくれた。
 カシダと二人で暮らしていた頃は、自分の行く先を考えた事など無かった。いつか父を倒せば全て終わるのだと漠然と思っていた。
 だが、それだけではないのだ。悪王を倒した後には荒れた国が残るのだ。苦しむ民が残るのだ。パルテナのような親を失った子供に、元の生活は戻らないのだ。それをどうすればいいのか、わからない。
 どうすればパルテナの笑顔を守る事ができるのか。わからない。
 そう考えて、先程から自分の思考の中心にパルテナばかりがいる事に気づいたデュルケンは、頬を赤く染めさっと少女から視線を外した。
 しばし、沈黙が落ちる。
「あのね、デュー」
 先に口を開いたのはパルテナの方だった。
「家の裏の林には、秋になるととてもおいしいキノコが生えるの。何本も、何十本も」
 何故突然そんな話を始めるのか。怪訝に思って振り向くと、少女は期待に目を輝かせて少年を見上げていた。
「すごくすごくおいしいの。だから今年の秋には、デューも一緒に林に行ってキノコをとって、一緒にシチューにして食べよう。パリィも今度はニンジンをちゃんと食べるから」
 家は焼け落ちてしまったではないか。いつも通りにそっけなく言い返そうとして、しかし、パルテナが続けた言葉に思いとどまる。
「今年も、来年も、再来年も。それからもずっと。パリィはデューと一緒にいたいよ」
 戸惑うデュルケンの手に、一回り以上小さな手が触れる。
「パリィはまだ子供だからむずかしい話はよくわからないけど」
 先程のレジーナ達の話を自分なりに回顧しているのだろう。少女は言葉を継ぐ。
「デューがレジーナ達と仲良くする事で、何かいい事があるなら、嬉しいな」
 それは素朴で子供じみた発言だったが、デュルケンの胸を突いた。
 そして唐突に気づく。
 誰かの笑顔の為に戦う。それだけの単純な事で良いのだ。たまたまデュルケンにとって、その対象がこの少女であっただけで。
 パルテナの手は体温の低いデュルケンより温かくて、言葉と共にじんわりと身に沁み込んで来る。同時に、この温もりを失くしたくないという想いが込み上げて来た。
 パルテナがまたもきょとんとするので、デュルケンは「何でもない」と返して、そして続けた。
「一緒にキノコを採りに行くのも、悪くないかもしれないな」
 少女がぱっと表情を輝かせ、デュルケンに体重を預けて来る。
「約束だよ。だからぜったい死なないでね、デュー……」
 そのまま、すうっと寝入る息が聞こえて、パルテナが目を閉じる気配がする。今日一日で色々な事がありすぎて疲れてしまったのだろう。
 デュルケンは、少女を起こさないようにそっとベッドに横たえさせ毛布をかけると、その寝顔を見つめた。常に気を張り詰めぴりぴりした生活を送って来て、こんなに穏やかな心持ちになった事など無かったかもしれない。
 この感情を呼ぶ為の名前をデュルケンは知らない。カシダはこのような気持ちについて教えてくれなかった。まったく、肝心な事はほとんど教えてくれなかったなんて、結構いい加減な養父だったものだ。
 デュルケンは一人苦笑し……、そして直後、その笑みを引っ込めた。カシダに鍛えられた勘が、危険の到来を告げたのだ。
 この場所は古来よりベレタの地下に張り巡らされた通路を利用して造られた隠れ家で、そう簡単に敵に見つからないと、ケヴィンが言っていた。だが今迫りつつある気配には、確実に悪意を感じる。
「あら、これはこれは」
 反射的に立ち上がって振り向いた時、その先には既に敵意の持ち主が現れていた。
「あの王の子にしては随分と鋭いぼうやだこと」
 感心したふうに喋っても、どこか他人を嘲るような調子は隠せない。パルテナからほのかに香る花の匂いをかき消す程の妖艶な香りが鼻をつく、黒髪の女だった。
「メティラ・ネフロ」
 発された単語が彼女の名前を示しているのだと理解するより先、女は強調した胸の谷間から髑髏を模した水晶細工を取り出す。
 ゆったりと掲げたその髑髏の両眼が怪しい黄色に光ったと思った瞬間、デュルケンの身体は雷撃に撃たれたかのようにびくりと硬直し、そのまま前のめりに倒れていった。突然の事に受け身など全く取れず、頭から激しく床にぶつかる。
 いや、ように、ではなかったのだ。デュルケンは数秒前の光景を思い返す。部屋の中を走った黒い雷を。
 全身が痺れて言う事を聞かない。麻痺毒をくらった時より強烈だ。視覚と聴覚ばかりが鋭敏になるデュルケンの視界を、メティラの靴がこつこつと音を立てて横切る。
「まだここでは殺さないわよ、ぼうや」
 嘲りを込めたメティラの声が憎々しい程に耳の内に反響する。彼女が何に手を伸ばそうとしているのか。気づかない程デュルケンは鈍くはなかった。
 やめろ。
 そう叫ぼうとしたが、口さえも意志に従わない。
「鏡の巫女、ミ・ルラ」
 メティラが得意気に呟き、何も知らずに眠るパルテナを抱き上げる。
「いただいていくわよ」
 その子に手を出すな。
 その子には関係無い。
 その子を泣かせるな。
 笑っていて欲しいだけなのに。
 言葉にならない呻きを洩らすデュルケンの前に、サティが落ちて来る。
 主の手から離れてどこか寂しげな赤の瞳を残して、パルテナの気配が、消えた。

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